マルコ福音書 14章10~11節 ユダの裏切り
2022年3月9日
(内容)
- イエスの弟子の一人、イスカリオテのユダはイエスを裏切り、イエスを引き渡そうとして祭司長たちのところへ出かけた。そしてイエスを引き渡す機会を狙っていた。
(黙想)
- 聖書には、ユダがなぜイエスを裏切ろうとしたのか理由は書かれていない。ユダの場合は、前もって計画的にイエスを裏切ろうとした。イエスを敵の手に渡し、イエスを殺させるのだから、ユダの行為はひどい行為である。裏切るということでは、この後、弟子たちはイエスが捕らえられたとき、イエスを見捨てて逃げており、これも一種の裏切りである。これは意図的なものではなく、恐れに囚われてのある意味で本能的な行為でもあった。イエスを見捨てたことは間違いない。
- 祭司長たちは、神に仕える者でありながら、神が遣わしたメシアを殺そうとしている。彼らはメシアを見分けることができなかった。そしてメシアを殺そうとする。そんな彼らにとって神に仕えるとはどういうことなのか。信仰は自己流になってはいけない。パウロもイエスを迫害した。自分の信仰はこれで良いのか、と吟味する必要はいつもあるだろう。
- ユダがなぜ裏切ろうとしたのか、理由は分からない。何が不満だったのだろうか。彼は弟子に選ばれてからずっとイエスと行動を共にしてきた。他の11人の弟子たちも同じである。しかしユダだけが、イエスを裏切る思いを抱き行動に移している。聖書には裏切りの理由は書かれていない。
- イエスの活動は人々の注目を集めた。ユダにはイエスに対する何らかの期待があったと思う。しかしイエスはその方向に進まなかった。ユダの心に焦り、もしくは裏切られたとの思いがあったのかも知れない。
信仰者が神を裏切るような行為をすることは時にあり、その理由は人それぞれなので、裏切りの理由は追及しなくてよい。何かあると人は神さえも裏切るのである。弟子たちはイエスが捕らえられたとき、自分たちも捕らえられるのではと恐れに囚われてイエスを見捨てて逃げてしまった。自分は裏切る可能性を秘めた人間であることを忘れてはならない。だから「試みに遭わせず、悪より救い出し給え」との祈りが欠かせなくなる。 - 信仰者には神への期待がある。その期待がかなえられないこともしばしばある。特に祈りにおいて、自分の願った通りのことが起きないことはしばしばある。その時、信仰者は戸惑う。神はなぜ、願いをかなえてくださらなかったのと。
- 今、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻が行われている。これに対して世界中から非難が浴びせられている。攻撃により街が破壊され、民間人が命を奪われ、心を痛める報道がなされている。強大な力を背景に自分の思いを実現させようとする傲慢な権力者の行動。人の命を何とも思わない行動。一刻も早く、軍事攻撃がやむようにと祈る。しかし攻撃の日々は続いている。神は何をしているのか、と思ったりする。
- 信仰を捨てようとは思わない。心のどこかに、神への不信が芽生える。ユダのように露骨に裏切ることはないかも知れないが、静かな神への不信が心の中に育つ。そういうことも私たちの中にある。自分の中にある。どうするのか。
- あらためて思う。神は人間に自由を与えられた。人間はその自由に基づいて行動する。プーチンは、自分の自由な選択として軍事侵攻を始めた。神はそれを止めない。人間に自由を与えられたから。また信仰者は、神が世界を支配しておられることを信じる。相反するような二つの命題の中に信仰者は生きる。
・神は人間に自由を与えられた。
・神は世界を支配しておられる。
- そして感じる。理不尽!
- そして人間は、神の支配を信じられない状況におかれている。どうするのか。神ならぬ人間は悩みながら信仰に生きる。人間は時間の流れに生きる。現在起きていることの意味は後になってわかるということがある。今何が起きているかだけで、惑わされてはならない。信仰者なら神に信頼して生き続けること。信仰者として行動を続けること。そして後で振り返り学ぶこと。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>登場したメシアを信じられない宗教指導者。何を信じているのか。信仰を生業にしていいのか。何のために神を信じるのか。自己吟味の必要。
- <警告>イエスを裏切ることはしてはいけない。
- <勧め>神への信頼に立ち続けること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。ユダの裏切りの話しは他人事ではないと感じます。ユダがなぜ裏切ったのかは分かりませんが、イエス様に対する何らかの失望があったのではないかと思います。そして私たちも時に、あなたへの失望を味わいます。その失望を信仰とは反対の方向に行動してはならないと教えられます。そしてあなたはこの世界を御支配なさっていると信じます。この世に生きている人間は罪を犯しますから、この世では罪の結果として悲劇も起きます。あなたが世界を支配されているからと言って、何もかもがハッピーというわけにはいきません。だから、伝道が必要であることを知ります。
- 今日は、ロシアの軍事侵攻を思い、あらためて忍耐強く祈ることを教えられました。一年後から今日を振り返ったらどのような思いを自分は抱くのかと思います。祈りがどのようにかなえられたのかと思います。ウクライナのために祈り、来年の今日、一年前を振り返り、今日祈った祈りがどうなったのかを振り返ることにします。
☆与えられた導き
- ウクライナのために祈る
- スケジュール帳に来年の今日、一年前を振り返るようにメモする