マタイ福音書 27章1~10節 ユダの裏切り

2021年3月29日

(内容)

ユダはイエスに有罪の判決が降ったことを知り、後悔し、自殺した。イエスを裏切って得たお金を返してイエスの件をなかったことにしようとしたが、大祭司や長老たちからは相手にされなかった。

(黙想)

  • ユダは自分が犯した罪に絶望して自殺した。ペトロもイエスを裏切る罪を犯したが、彼は赦しを受け、使徒として働いた。何が二人の運命を分けたのか。それは分からない。ユダは自分が犯した罪を後悔し、自殺した。イエスは人間の罪を赦すために自分を罪のあがないのためのいけにえとして自分の命を犠牲にする。ユダの罪さえ赦しを受けることができる。ユダはそのことは知らなかったのか。イエスによる罪の赦しは知らなかったであろう。しかし旧約聖書には、罪を赦してもらうためにいけにえを神に献げることが書かれているのをユダは知っていたはずである。しかしユダはその道を選ばなかった。
  • イエスは最後の晩餐の時、御自分を裏切る者がいることを弟子たちに話された。その時、「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」と語った。もしユダがこの言葉を思い出したら、このイエスの言葉はユダの絶望を深めたと言うことができる。さらにイエスを裏切って得たお金を返してイエスの件をなかったことにしようとしたが、大祭司や長老たちからは「我々の知ったことではない」と言われ、これもまた絶望を深めたと思われる。覆水盆に返らず、過去のことをなかったことにはできない。絶望をまえにしてユダは死を選んだ。
  • このユダを見て思うことは、人間にとって絶望というものは本当にあるのかどうかということ。聖書はどんなに絶望しても、なお神が共におられ、助け導いてくださると語るのではないか。ユダの場合、悔い改めは必要である。旧約聖書には、イスラエルの民の悔い改めを求める神の言葉が繰り返し書かれている。ユダは神を信じることを選ばなかった。絶望の果てに死を選んでしまった。たといどんな罪を犯したとしても、神に見捨てられることはない、と聖書は告げている。これを信じたいと思う。そして罪を犯さないようにしたいと思う。イエスを裏切る理由がユダにはあったのかも知れない。その理由が本当に神の前に認められるものなのかどうか。吟味が必要だろう。人間はいくらでも自分を正当化しようとする存在である。
  • 人間は、そして自分は神の前に生きる者であることを知ることが大切だ。
  • それにしても罪を犯すとはどういうことをいうのだろうか。罪を犯せば、地上の生活において、我々はその実を刈り取ることになる。罪を犯したら、我々の生活に何の影響もないということはない。生まれながらの人間は、罪を知ることなく、罪を犯した結果を刈り取りながら生きている。だから我々は神の赦しを得て、何とか人生のリカバリーをしたいと考える。さらには祝福を祈願する。
  • 「人の子を裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」とイエスは語った。この「生まれなかった方がよかった」という言葉は何を意味しているのか。そもそも罪からの救いとは何か。それは罪がもたらす永遠の滅びからの救いということになるのではないか。ユダが悔い改めることなく絶望して自ら命を断つことをイエスが知っていたとするなら、まさに永遠の滅びに入るなら、生まれなかった方がよかったとイエスは語ったことになる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神は赦しを与える神である。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>どんなに後悔したとしても、罪の赦しを求め、人生を生き直すことが大切である。
  • <勧め>神の前に生きていることを覚え、罪は避けることが大切だ。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、後悔しないように生きることは大切ですね。ユダがなぜイエスを裏切ろうと考えたのかは分かりません。彼には理由があり、それが正しいと思えたのです。そして実際に裏切り、その結果に恐れを覚え、後悔し、絶望し、自らの命を断ちました。
  • 後悔するようなことはしない、そのことを教えられます。私はかつて喫煙の習慣があり、それが体に良くないとは分かっていましたがやめられない時期がありました。そしてあなたから「やめなさい」と警告を受けたことがあり、それがきっかけで入信しました。
  • 今は歳を重ね健康に留意しています。健康のために身につけた方がよい習慣があり、やめた方がよい習慣があります。夜更かしなどもやめて早く寝るようにした方がよいですね。生活を見直し、悪い習慣をやめるようにしたいと思います。あとになってやめておけばよかったと後悔したくありません。神さま、力を与え、導いてください。
☆与えられた導き
  • 悪い習慣をやめる努力をする。