マルコ福音書 14章12~21節 過越の食事の準備

2022年11月28日

(内容)

  • イエスは過越の食事を用意するよう弟子に命じた。弟子たちと一緒に食事をしているときイエスは、12人の中に自分を裏切る者がいることを告げた。

(黙想)

  • 過越の食事をどこでするのか。イエスは、弟子たちに不思議な指示を与えた。都へ行くと水がめを運んでいる男に出会う。その人が入っていく家の主人に「過越の食事をする私の部屋はどこか」と言うように命じる。
  • 弟子たちが都に行くと、イエスの言ったとおり、食事をする家が見つかり、家の主人が食事をする部屋を見せてくれたという。これは不思議な出来事である。当時、水がめを運ぶ人が道路を往来することは珍しいことではなかったと思われる。だから、水がめを運ぶ人と出会うことは可能性として高い。しかしその人の入った家の主人が、弟子たちの話しを受け入れ、部屋を提供するというのはどうなのか。家の主人がイエスを知っていれば、部屋の提供の可能性はある。常識的に言えば、偶然に出会った水がめを運ぶ人の入る家の主人が、弟子の言葉を聞いて、部屋を提供するというのは、考えにくい。ただ過越祭であり、エルサレムに巡礼できていた人たちに、過越の食事のために部屋を提供するということが行われていたかも知れない。
  • いずれにせよ、イエスは弟子たちと一緒に過越の食事をすることになった。食事の時イエスは、弟子たちの中に自分を裏切る者がいることを告げた。弟子たちは「わたしのことでは」と代わる代わる言ったとある。自分が将来どう行動するのか、だれもわからない。実際、イエスが捕らえられたとき、弟子たちは皆イエスを見捨てて逃げた。イエスの発言は弟子たちに不安をもたらす発言だった。
  • そしてイエスは、裏切る者は生まれなかった方がよかったという。裏切った結果の報いを見るとき、その報いを受けるなら、生まれない方がよかったということである。ユダはイエスを金で売ろうとしたことを後悔し、自殺することになる。マルコ福音書はユダの自殺については書いていない。ユダの自殺を報告するのはマタイ福音書と使徒言行録である。
  • 事態は着々とイエスの受難に向かって進んでいく。
  • 過越祭の時に、イエスは亡くなる。なぜ過越祭の時なのか。ヨハネ福音書では、洗礼者ヨハネはイエスのことを世の罪を取り除く神の小羊と呼んでいる。
  • かつてエジプトで奴隷だったイスラエルの民は、過越の食事をするように神から命じられた。そして小羊をほふり食べた。小羊の血を家の鴨居に塗ったおかげで災いをもたらす神の使いは、イスラエルの家を過ぎ越した。この出来事とイエスの死を結びつけることはできるし、結びつけるべきだろう。
  • イスラエルの民は、エジプト王の支配から自由になった。イエスの死は人を罪から自由にする死と考えることができる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>過越の小羊として死ぬ方
  • <御子>ユダが裏切ることをご存じの方
☆神が私たちに求める生き方
  • <警告>イエスを裏切らないこと。裏切る者は生まれてこない方がよかったと言われる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、主イエスはユダが裏切ることをご存じでした。信仰者として私たちがどのような歩みをするのか、主イエスはご存じです。そして私たちは信仰者として主イエスを裏切るような歩みをしないと断言はできません。罪を犯すことは、主イエスの期待を裏切ることにもなります。
  • 天の父なる神さま、信仰者としてあなたを裏切ることのないようにお守りください。そのために聖書に親しみ、あなたの御心を確認し、自分の歩みが御心に沿うよう努力しています。今日の一日、あらゆる誘惑からお守りください。
☆与えられた導き
  • 神の守りを祈って一日を過ごす