マタイ福音書 26章69~75節 ペトロの裏切り
2021年3月24日
(内容)
- ペトロは大祭司の屋敷の中庭でイエスの裁判の行方を見守っていた。しかし「あなたはあの男の仲間だ」と言われ、ペトロはそれを三度打ち消した。すると鶏が鳴き、イエスの予告通りのことが起きた。
(黙想)
- ペトロのイエス否認の言葉は段々強くなっている。一回目は「打ち消した」。二回目は「誓って打ち消した」。三度目は「呪いの言葉さえ口にしながら」、イエスのことを知らないと「誓い始めた」。最初ペトロは、「主イエスと一緒にいた」と言われて恐れに囚われ、イエスのことは知らないと打ち消した。打ち消したあと、自分がイエスのことを否定したという自覚はもたなかったのか。どうなのだろう。案外自分がしたことに気づいていないかも知れない。あとから気づくのである。そんな経験が僕にもある。
- 恐れに囚われていたことは事実であるが二度目は「誓って」打ち消した。強い調子でイエスのことを知らないと言った。三度目も。二度目以降は、思わず否定したのではなく、恐れから自分を守るために、強い意志をもって、イエスのことを知らないと否定した。それさえも自分が何をしたのか気づいていない。
- 三度目に否定した時、鶏の鳴く声が聞こえ、そこで初めてペトロはイエスの言葉を思い出し、自分が何をしたのか気づいた。そしてペトロは激しく泣いた。自分が何をしたのかはっきりと自覚したのである。裏切っただけではなく、「あなたのことを知らないなどとは決して言わない」とのあの強がりの言葉も思いだした。自分を強く見せ、自分をよく見せようとしたが、自分が全く反対の人間であることを思い知らされた。自分が弱くて無力で見栄を張る人間で、みじめな存在であると気づかされた。自分に絶望し、落ち込むだけである。
- ペトロは激しく泣いた。泣き終わったあとペトロは、自分の否認をイエスが知っていたことをどう受けとめるのか。自分はイエスに拒否されるのか。そう考えても不思議ではない。しかしイエスがペトロの否認を知っていたこと、それをペトロに告げたことは、イエスはそれでもなおペトロを受け入れることを告げているのではないか。実際イエスは人間の罪のあがないのために、自らの命を犠牲にされるのである。
- やがてペトロは、聖霊を受け、自分の命を惜しむことなくイエス・キリストを宣べ伝える人となった。イエスは人間の罪からの再生を知っているし、そのために自分が来たことも知っておられる。イエスは人の罪を赦すためだけではなく、罪の囚われから解放するために来られたことを思う。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御子>ペトロの裏切りを知る方。それをペトロに伝える方。イエスを否認し罪を犯すペトロを見捨てないお方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>自分の弱さ、無力さを認め、強がることをしない。
- <勧め>神の恵みが弱い私たちを強くすることを覚える。
- <勧め>罪を犯した時は、赦しを求めるだけではなく、罪から私たちを解放する恵みを求めるようにする。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、ペトロの物語は他人事ではありません。私もかつて恐れに囚われ、罪を犯したことがあり、そのときは、自分が罪を犯したことに気づきませんでした。あとから気づきました。あなたは「恐れるな」と言ってくださる方です。それは自分が恐れに囚われる人間であることを認め、だからあなたに助けを求め、あなたのもとに逃れればよいと知ります。神さまに信頼し、神さまの導きを信じることが、恐れを抱かざるを得ない状況に対処することであると知りました。自分の力で生きようとするから、恐れに囚われるのですね。
- あなたは罪を犯す私たちを赦してくださるお方であり、あなたが私たちの罪を赦すのは、私たちが罪に打ち勝ち、罪の支配に負けない信仰者になるためなのですね。ペトロはやがて命の危険を顧みずにキリストを宣べ伝える者とされました。
- あなたは私たちの父なる神として私たちと関わってくださり、私たちを罪から再生させてくださる方として受けとめます。あなたは私の父なる神なのですね。わたしはあなたが父なる神であると信じるだけではなく、あなたが私の父なる神であることを私は「知っている」と告白したいと思いました。このように告白します。
☆与えられた導き
- あなたが私の父なる神であることを私は「知っている」と告白する