マルコ福音書 14章66~72節 人間の弱さ
2022年4月4日
(内容)
- ペトロは中庭にいてイエスの裁判の様子を見ていた。その時ペトロに「あなたもあのナザレのイエスと一緒にいた」と大祭司に仕える女中の一人が言った。するとペトロは打ち消した。ペトロは三度イエスとの関わりを否定した。
(黙想)
- ペトロはイエスが語ったように三度イエスとの関わりを否定した。最初に女中が「あなたもあのナザレのイエスと一緒にいた」と聞いた時、ペトロは恐れに囚われた。あたりは暗闇であり、暗闇は私たちの心を消極的にさせる。
- 人間は弱さを持つ。人は日常生活でその弱さを出そうとしないし、自分は弱いとも思っていない。時に自分の弱さに気づき、人はそれを隠そうとする。おそらくペトロは自分は弱さを持っているとは思っていなかった。しかし女中のひと言で恐れに囚われ、イエスとの関係を否定した。しかも三度も。鶏が鳴き、イエスの言葉を思い出し、自分がイエスを裏切ったことを知って泣き出した。自分の不甲斐なさ、主を裏切る自分の卑劣さ、保身の気持ちに負ける自分。ペトロは泣き出した。
- このように打ちのめされる体験は貴い経験である。自分が変わるきっかけとなる。つらい経験だが、恵みの経験に変えられる。
- イエスはあらかじめ、ペトロの裏切りを予告した。しかしイエスはペトロを見限ったりはしない。ダメな弟子と突き放してもいない。ペトロの弱さを承知している。復活の朝、墓に来た女性たちにイエスは、ガリラヤに行くようにペトロに伝言している。
- 人は己の弱さを知ると謙遜にされる。謙遜になったとき、神さまに用いられる者となる。自分の力を誇る者は、真に神に仕える者になることはできない。ペトロはつらいが、幸いな体験をした。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>人の弱さをご存じの方。人の弱さを受け入れるお方。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>自分の弱さを知ったなら、それを隠さず、弱い者として神に信頼して生きること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、人間の弱さについて教えられます。これまでの人生の中でも自分の弱さについて思い知らされ、あなたに信頼して歩むことを教えられて歩んできました。そして今、あらためて弱さに直面しているのではないかと思いました。それは老いから来るものと言えます。
- 天の父なる神さま、私はあなたに召されて福音伝道者とされました。そして私の人生を通して、あなたの召しに応えて歩んできました。自分の力の不十分さを知り、また現在の教会の問題を考えるとき、否定的な思いに導かれるときがあります。自分の無力さを思わされます。そして自分は牧師の働きから引退しており、悲観的な思いが心に湧いてきます。
- こんな思いを抱いてずっと生きると考えるとぞっとします。しかも自分にはなすすべもないとの思いがあります。じわじわと生きることの空しさを思わせられます。これも一種の弱さなのだと思います。
- ゲッセマネの園でイエス様は弟子たちに目を覚ましていなさいとお命じになりました。それは今の私に向けられた言葉でもあると思いました。漠然と否定的な思い、悲観的な思いに流されるのではなく、目を覚まして、自分の立ち位置を見つめるように促される思いがします。
- 天の父なる神さま、私は牧師の務めから引退しました。あとは今なお福音宣教者として働いている人にゆだね、神さまにゆだねます。私は自分の務めを果たしたことを感謝し、あなたと後進の人たちに宣教のわざをゆだねればよいのですね。
- 与えられた場所、与えられた時間に、自分の務めを果たすことができたことを積極的に感謝することにします。
☆与えられた導き
- 牧師としての務めを果たせたことを感謝する