マルコ福音書 14章66~72節 自分の弱さを知る
2022年12月26日
(内容)
- ペトロはイエスの裁判が行われている大祭司の家の中庭にいて様子をうかがっていた。すると大祭司に仕える女中がペトロをじっと見て、あなたはイエスの仲間だと言った。するとペトロはそれを否定した。
(黙想)
- 大祭司に仕える女中がペトロのことを知っていた。彼女はどこでイエスを見たのだろうか。イエスが弟子たちと一緒に神殿の境内にいるのを見たのか。
- ペトロはイエスと一緒にいるのを見られていたのである。自分の行動を隠すことはできないことを思う。どんなに隠しても、神の目には明らかである。
- またそこに居合わせた人の中にも、ペトロがイエスの仲間であることを告げる人もいた。「おまえはガリラヤの者だから」と言った。目の前にいるペトロをガリラヤ出身と判断したのは何を根拠にしているのか。
- 小さな疑問はあるが、ペトロがイエスの予告通り、イエスのことを知らないと三度言ったことがこの記事の中心である。
- ペトロはイエスのことを知らないと三度も主張した。人は自分が何をするのか予測できない。思わぬ時に思わぬ行動をするのが人間であり、罪を犯すのである。
- ペトロは鶏が鳴くのを聞いて、自分が何をしたのかを悟りいきなり泣き出した。イエスのことを知らないなどとは言わないと豪語したが、実際には、イエスのことを知らないと言ってしまった。鶏が鳴いてそのことを思い出した。
- 口ほどにもない自分への失望・落胆、またイエスを裏切るという自分の犯した罪の重大さを知っての恐れ、あのような豪語をしなければよかったとの悔いなど、色々な感情が交ざり、一挙に強まり、ペトロは泣き出したのか。
- 恐れに支配される人間の弱さ、無力を知る。何があっても自分は信仰を貫くことができるとうぬぼれてはいけない。だからといって卑屈になってもいけない。自分の弱さ、無力さを弁えつつなお信仰に生きる、神への信頼に生きることが大事だ。
- ペトロは、自分はイエスのことを知らないと言わないと言ったのは、勇み足である。イエスが弟子たちはみなつまずくと語ったとき、弟子たちは否定した。イエスの語ることを受け入れ、つまずいた後どうしたらよいのか、とイエスに聞いたらどうだったのかと思う。
- 自分の弱さ、無力さを知るなら、事に当たってどうしたらよいのか、神に相談して歩むことが大切となる。弱いから、無力だからと逃げてはいけない。弱いから、だからどうすれば良いのか、神に相談しつつ歩むことが大事。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>自分の弱さを弁えること。強がってはいけない。
- <勧め>自分の弱さを知って、どのように行動するかを考えること。神に相談すること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読み思いめぐらすことができ感謝です。自分の弱さを知らず、強気の発言をし、恐れに捕らわれ主イエスを裏切る発言をして泣き出したペトロ。これは私たちの姿ですね。
- 自分の弱さを弁えた者としては、卑屈になるのではなく、あなたに信頼し、あなたに助けを求めて歩むことが大切と知ります。日頃から聖書に親しみ、あなたの御心に聞き、あなたの御前にどのように歩むのかを教えられ歩むことの大切さを思います。
- 今、私には特に直面している問題もなく、平穏な日々を過ごしていますが、いつもあなたに聞く歩みを続けたいと思います。そうすれば何かあったときもあなたに聞いて対処できると信じます。これからもデボーションを続けていきます。
☆与えられた導き
- これからもデボーションを続けていく