コロサイ書 2章6~15節
2020年5月23日
(内容)
- キリストに結ばれて歩みなさいとの勧めがなされる。信仰者は洗礼によってキリストと共に葬られ、キリストと共に復活させられたのだから、と理由が示される。
(黙想)
- まずコロサイの人々は「罪の中に死んでいた」(13節)。「以前は神から離れ、悪い行いによって心の中で神に敵対していた」(1:21)。コロサイの人たちは、罪の中に死んでいたとのである。言い換えると罪に支配されていた。罪に支配され、神の目には死んだ者であった。しかし福音を聞き、イエス・キリストを信じ洗礼を受けた。
- 洗礼を受けるということは、ただキリスト者になる儀式を受けたことにとどまらない。「キリストと共に葬られ、キリストと共に復活させられた」(12節)とある。洗礼を受けた人は、葬られ、復活させられる。洗礼を受ける人は自分では何もしていない。しかし葬られ、復活させられるという出来事が洗礼を受ける人の内で起きている。それを行っているのは神である。
- 「葬られ」には前提として死がある。洗礼を受けた人は死んだのである。死んだから葬られる。死んだから復活させられ、生きる者となる。肉体・体に注目すれば、洗礼を受けた人に何の変化もない。知性、感情、意志においてもおそらく何の変化もない。しかし神の目に、死んで葬られ、復活させられるということが起きている。
- 洗礼を受けた人には決定的なことが起きた。信仰を持つ以前の人間、世に属する人間、この世的な生きかたをする人間(古い人)は死んだ。葬られた。そして今や信仰に生きる人間、神に属する人間(新しい人)に復活させられた。表面的には、何ら変わりがないように見えるが、洗礼を受けた人は決定的に変えられた。信仰的な事実。霊的な事実と言える。洗礼を受けた者は生まれ変わった者として生きていく。
- 今まではキリストと無関係に生きてきた。今やキリストに結ばれて生きる。結婚式をした男女が夫婦として結ばれて生きるように、信仰者はキリストに結ばれて生きる。
- しかし信仰を持つ以前の私(古い人)が全く消えたわけではない。私のうちには信仰を持つ以前の私(古い人)の考え方、感じ方、行動の仕方が消え去ったわけではなく、古い人間の生きかたに生きるよう力が働く。しかし信仰者である私、キリストに結ばれ、生まれ変わった私(新しい人)は、信仰に生きようとする。神の御心に生きようとする。信仰者の内に、古い人間の生きかたを新しい人間の生きかたが衝突する。
- パウロはロマ書の6章では、信仰者は罪に対して死んだと語り、信仰者は罪から解放されているとも語る。
- 信仰者は生まれ変わった人間として、キリストに結ばれた者として生きていく。この生き方の確認、あるいは決断が大切である。
- 7節では「キリストに根を下ろして造り上げられ」とある。キリストに結ばれて生きることが、キリストに根を下ろすと言い換えられ、キリストに根ざした者へと造り上げられることを目指すことが勧められる。そのためには、コロサイ教会の人たちはパウロが語る教えに従うことが大切となる。わたしたちは聖書、神の言葉によって生きることが大切となる。キリストに根ざすとは、神の言葉に根ざして生きることである。
- かくして僕はディボーションを続けている。キリストに結ばれて歩んでいる(つもり)。感謝である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御父>父なる神は、わたしたちの一切の罪を赦してくださる方。
☆神が求める私たちの生き方
- <勧め>6節。キリストに結ばれて歩むこと。
- <勧め>7節。あふれるばかりに感謝すること。
- <警告>8節。人間の言い伝えに過ぎない教えに惑わされないこと。世の人々の考えに惑わされないこと。
- <教え>12節。信仰者は洗礼によって新しい人に復活した。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、私はイエス様を信じ洗礼を受けました。洗礼を受けた自分がキリストと共に葬られ、またキリストと共に復活させられたことを教えられ、また信じて歩み始めたのは、昔のことではありません。キリストを信じて生きるとはどういうことか、福音とは何かを追求する中で、教えられてきたと思います。礼拝の中で、司式者として長老が祈る祈りを聞いて、罪に支配されている生き方をしていると思ったことが幾度も幾度もありました。彼らは礼拝に真面目に出席し、説教をきちんと聞いているのです。だから、福音ってそもそも何なのか、と問わざるをえませんでした。
- 私は福音が何か、求めるようにして学びました。あなたの導きを得て、学ぶことができたと信じています。そして今、キリストに結ばれ、キリストに根ざして造り上げられてきたことを思います。今日の聖書で「あふれるばかりに感謝しなさい」とあります。あふれるばかりに感謝したいと思います。
- 感謝があふれている信仰者になれたらいいなと思います。月並みですが、感謝を数えて日々歩めたらいいと思いました。まず今日から一週間、一日の終わりに感謝を数えます。
☆与えられた導き
- 一週間、感謝を数えて日記に記録する。