第二コリント 13章1~4節(2)パウロとキリスト
2022年2月16日
(内容)
- パウロは自分とキリストとの関係を意識して、キリストを語る。パウロとキリストの交わりの深さが示される。
(黙想)
- キリストは弱さのゆえに十字架につけられたが、神の力によって生きている方である。復活され、今、信じる者たちと共におられる方である。そして「キリストはあなたがたに対しては強い方」とある。キリストは私たちと共におられ、強い方として共にいてくださる方である。
- 私たち、つまりパウロたちは、キリストに結ばれた者である。しかし弱い者である。キリストが共にいてくださるので「わたしたちは弱いときにこそ強い」(12:10)と言うことができる。パウロはコリント教会に対しては、「神の力によってキリストと共に生きている」と語る。パウロはいつも「神の力によってキリストと共に生きている」。
- パウロとキリストの関係は非常に密接である。キリストとの霊的な交わりが深いのか。ガラテヤ書で次のように語る。
2:20
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。わたしが今、肉において生きているのは、わたしを愛し、わたしのために身を献げられた神の子に対する信仰によるものです。
- パウロはキリストがわが内に生きていると語る。パウロはキリストが自分のうちに生きていると感じている。キリストがわがうちに生きているのであり、キリストが主導権を得て、パウロを生かしている。これはどういう感覚なのだろう。どうしたらこうなるのだろうか。キリストの御心がパウロの心の中で満ちているのか。キリストの御心がパウロの心を圧倒しているのか。
- 神に心を明け渡してキリストを心の王座にお迎えしようということが言われる。この表現は、主体は自分にある。パウロの場合、自分を圧倒するキリストの存在がある。第一にキリストはパウロを使徒に命じ、パウロを派遣している。
- 彼はキリストに結ばれ、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きているとロマ書で書いている。そしてフィリピ書で、キリストを知ることのすばらしさを語る。キリストを信じる以前のパウロは肉の誇りの塊であった。キリストを信じ、キリストの素晴らしさを知ると、その肉の誇りをゴミ屑のように見なしている。キリストとの出会いは、彼に価値観の大いなる転換をもたらしている。自分を誇ることからキリストを誇ることへの転換。
- コリント教会に向けて、自分が使徒であることの弁証をするパウロである。この箇所では、キリストと自分は結ばれキリストと共に生きているとしか語らない。上記のようにロマ書、ガラテヤ書、フィリピ書には、パウロとキリストの結びつきについて大切なことが書かれている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>信仰者と共にいてくださる方
- <御子>信仰者を御自分と結び合わせてくださる方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>キリストに結び合わされて生きる。
- <勧め>キリストと共に歩む
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、パウロはキリストに捕らえられ変えられ、キリストを知る素晴らしさを知り、生き方が全く変えられました。キリストを迫害する者から宣べ伝える者へ、肉を誇ることからキリストの十字架を誇る者へ、キリストに結ばれて古い人が死に新しい人として生きる者へ変えられました。そしてキリストと共に歩む者となり、早くこの世を去って、キリストと共にいることを熱望する者となり、生きるとはキリストであると告白する者となりました。パウロは強烈なキリスト体験を得たといってもよいと思わされます。
- パウロがキリストの名を持ちだして語ることに驚きと羨望を覚えます。それだけキリストを意識している信仰生活に自分との距離感を感じます。私もキリストに出会い、信仰者として生きてきました。私もキリストを意識して、キリストとの関係の中で信仰を歩んできました。でもパウロのように迷うことなく、キリストの名を出すことはできません。ためらいを感じます。しかしキリストなしに私の信仰生活はありません。今の私があるのは、キリストが私の内に生きているからと、言えるのではないかと思います。でもこういうと、人からそれはどういうことと説明を求められるし、その時どう語ったらいいのかと思います。
- 天の父なる神、今日は、自分とキリストとの関係をパウロの言葉によって考えてみたいと思いました。以下について自分はどうなのか、思いめぐらしたいと思いました。そして私とキリストとの関係を言葉で表現したいと思いました。導いてください。
・生きているのはもはや私ではなくキリストである。キリストが私のうちに生きている。
・キリストに結ばれ、キリストと共に死に、キリストと共に新しい命に生きている。
・キリストを知ることの余りの素晴らしさ。
・キリストに結ばれた者として生きている。
・キリストと共に生きている。
☆与えられ得た導き
- キリストと自分との関係を思いめぐらす。