ルカ福音書 1章5~25節
2018年3月8日
(内容)
- 神の使いが祭司ザカリアに子が授かることを予告し、実際、彼の妻エリサベトは身ごもったことが書かれています。
- ザカリアとエリサベトという老夫婦に子が授かるという不思議な出来事が起きます。
- 子が授かること、時が来れば実現する神の言葉を信じることができなかったザカリアは天使から咎められます。
- 生まれてくる子どもは偉大な人となり、イスラエルの多くの子らをその神である主のもとに立ち帰らせる働きをすると天使は告げました。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- 神さまには救いの計画があります。その計画の中でヨハネが誕生し、さらにはイエス様が生まれます。
- 救いの計画の実現のためには、どんな不思議なことも神はなさいます。
- 救いとは、民を神である主のもとに立ち帰らせることです。
- 我々もまた神の救いの計画の中に置かれています。
- 神はその救いの計画の実現のために人を用いられます。
☆神が求める私たちの生き方
- (勧め)時が来れば実現する神の言葉、神の約束を信じること。
(黙想)
- ザカリアは天使から願いがかなえられると告げられます。子が与えられるとの知らせを受けます。ザカリアが願ったのは若いときであり、年を取った今、子を授かるという願いは、忘れてしまったのではないかと思います。神さまは子がほしいというザカリアの願いをかなえなかったのではなく、神さまのご計画の中では、しかるべき時があったのです。
- 年老いたザカリアは、自分たち夫婦に子が授かるとはにわかには信じることができませんでした。「何によって、私はそれを知ることができるのでしょうか」との言葉は、天使(神さま)には不信仰の言葉でした。ザカリア夫婦の信仰は非のうちどころがなかったとありますし、ザカリアは祭司として神さまに仕えていました。ですから天使のお告げをザカリアは信じることができたはずと天使(神さま)神さまは考えました。それで天使はザカリアを咎めました。
- 「時が来れば実現する私の言葉を信じなかった」という天使の言葉は重い言葉です。聖書には時が来れば実現する約束がいくつも書かれており、実現しています。アブラハムに対する約束(アブラムの子孫が増え大いなる民となる)、モーセに対する約束(神はイスラエルの民を奴隷状態から救い、自由に生きる土地へ連れて行くという約束)などが聖書に書かれており、祭司であるザカリアはこのことを知っていたはずなのです。
- 私たちにも、時が来れば実現する神様の約束が与えられています。イエス・キリストの再臨、最後の審判、神の国の到来、実現。現代人にはおとぎ話に見えるかもしれません。でも信仰者としては、しかも牧師としてはこれを素直に信ずべきことを教えられます。礼拝で使徒信条を告白する者として、理性では、神の約束の実現を信じています。しかし心のどこかでは、疑うのではありませんが、本当だろうかという思い、心から信じたい、との思いがあります。
- 私たちは何かを信じるとき、確かなものとして信じたいという欲求を持ちます。信じて大丈夫だとの確証を求めたがります。ザカリアは「何によって私はそれを知ることができるのでしょうか」と天使に語りました。ザカリアの出来事は、神の約束を素直に信ずべきことを教えています。
- 私は、理性の働きによって心でも信じることができるようになると考え、どう考えたら心から信じることができるようになるのか、考え続けてきました。理性の働きによって、信ずべきことを確かなこととして信じることができるようになるのではないかと考え、模索を続けてきました。最近はその意味で理性の働きには限界があることを悟るようになってきました。心から信じることができるとするなら、それは神さまの賜物であると考えるようになりました。
- 信仰の確かさを理性によって得ようとしたことを悔い改め、信仰は賜物であるので、神さまの信じることができるようにと祈り続けることが大切と考えるなったことを思います。
- 「信じます。しんこうのないわたしをお助けください」(マルコ9:24)が私の祈りです。
(神の導き)
☆与えられた導き
- 祈り求める。終末の事柄(時が来れば実現する神の言葉/約束)を心から信じることができるように祈り求める。