ローマ 1章1~4節(2) 約束された福音
2022年5月2日
(内容)
- パウロは神の福音のために選ばれて使徒とされた。この福音は御子に関するものであり、聖書(旧約聖書)の中で預言者を通して約束されている。
(黙想)
- キリストの十字架の死を思わせるものとして、イザヤ書53章、詩篇22編がある。イザヤ書42章には、諸国の光となる人物への言及があり、世の光であるイエスを預言していると言える。同じ42章には、神が選ぶ神の僕への言及がある。これはイエスが洗礼を受けたときに関連する言葉である。あるいは創世記3章15節には、エバの子孫と蛇(悪魔)の間に敵意を置き、エバの子孫は悪魔の頭を砕くとある。出エジプトにおけるイスラエルの奴隷からの解放は、人間を罪から解放するイエス・キリストの働きを予告する出来事でもある。イエスは神の小羊である。救い主が誕生する地については、ミカ書に言及がある。
- 福音は御子に関するものであり、聖書の色んな箇所が、御子への言及があるといえる。言い換えると旧約聖書は救い主メシアの登場を待ち望む書物である。旧約聖書には神の民として選ばれたイスラエルの神との関わりが描かれている。彼らは神の民としては失敗した民である。彼らの歩みを通して、人間の罪というものが明らかにされた。罪がある限り、人間の歩みは神に祝福されたものとはならない。イスラエルの民は国家を築いたが、結局、国家は滅びてしまった。彼らの犯す罪が、神に裁かれた結果である。
- 罪からの救い、それが旧約聖書が待ち望むものであり、救い主の登場を旧約聖書は待ち望み、さらには救い主の登場を約束している。この約束がイエス・キリストにおいて実現したとパウロは語る。人は罪赦され、罪を克服して神との交わりに生きるようにされる、それが救いである。そもそも神の似姿に創造され、男と女に創造されたことは、人間が交わりに生きる者であることを示している。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>世界を創造した神。神は歴史を導く神。神は御子キリストが救い主であることを全世界に知らせるために、イスラエルの民を神の民として選んだ。イスラエルの民は罪のために神の民として歩むことに失敗した。それを承知の上で、神は、メシア、救い主の到来を色々な折に示された。アダムとエバの時にすでにメシアを予告している。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>福音とは御子に関するものである。福音が何か、パウロはこの手紙の中で書いていく。
- <教え>人間の歴史には、人間を救うという神の歴史がある。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、今日も聖書を読むことができ感謝します。福音は神が聖書の中で預言者を通して約束しているものであると書かれています。説教者であったとき、特に主イエスの受難については、旧約聖書に預言されているとして、イザヤ書53章や詩編22章を引用したことがあります。あらためて思うことは、旧約聖書が救い主を待望しているということです。さらにいえば、人間が罪を犯すことをあなたは承知しており、聖書の最初から、言い換えると世界の創造の時から、あなたは救い主を世に遣わすことを計画しておられました。私たちが生きているこの歴史の中に、あなたの計画、人間を救おうとするあなたの計画があることを知ります。歴史は終末に向かって進んでいます。思いは広がります。
- 今日の聖書を読んで、あらためて、聖書のどこでどんな約束があるのか、それを拾い上げてみたいと思いました。まずは自分で思い浮かべることのできる聖書箇所を取り上げ、次にロイドジョンズのロマ書の注解書から取り上げられている聖書箇所を読み、約束している聖書箇所をまとめたいと思います。
☆与えられた導き
- 福音を約束する聖書箇所のリストを作る
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聖書リスト
創世記3章15節、民数記24章17節、サムエル記下7章
マラキ書3章1節、エレミヤ23章、イザヤ7章
申命記18章15節、ダニエル書9章24節
イザヤ書42,49,50,53,61章
ゼカリヤ書9章9節、詩編16、22編など
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