マルコ福音書 6章45~52節 そば近くおられるイエス
2022年4月28日
(内容)
- イエスは山に行き、夜を徹して祈られた。弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを知り、明け方に湖を歩いて渡り、弟子たちのもとに行き、風を静めた。
(黙想)ゆうれい
- イエスは弟子たちを舟に乗せてベトサイダへ行かせた。ご自身は祈るために山に行き、祈られた。どれほどの時間祈ったのか。夕方からあるいは暗くなる頃から祈り始めたと思われる。祈りが終わると弟子たちが漕ぎ悩んでいることを知り、夜が明けるころ湖上を歩き弟子たちの方へ行かれた。
- イエスは何を祈られたのかは分からない。福音書にはイエスが一人山に退いて祈られたことが書かれている。イエスは父なる神に祈られた。父なる神に祈りつつメシアとしての働きをされた。父なる神に、自分の思いを告げられたのではないか。
- 弟子たちはまだ明るいうちにベトサイダに向けて舟を漕ぎ出した。しかし逆風のために漕ぎ悩んでいたとある。しかも明け方まで漕ぎ悩んでいたようである。ペトロとアンデレ、ヤコブとヨハネは漁師であり、漁は夜明け前に行われた。暗い中、漕ぎ悩むことは漁師は経験していたことと思われる。弟子たちが窮地に陥っていたとは思われない。目的のベトサイダになかなか着かないので、困っていたことは確かだ。
- イエスは湖上を歩いて弟子たちの所へ行くが、48節で「そばを通り過ぎようとされた」とある。どういうことか。イエスは真っ直ぐに弟子たちの方に向かっていたのではなく、そばを通り過ぎようとされた。弟子たちは、その姿を見て幽霊だと思い大声で叫んだ。驚き、恐れに囚われたのであろう。イエスが真っ直ぐ舟に向かってきたとしたら、弟子たちの驚きはさらに大きなものだったと思われる。
- イエスはそばを通り過ぎた。「わたしがここにいる」と弟子たちに気づいて欲しかったのかも知れない。真っ直ぐ舟に向かえば、弟子たちはイエスと直面する。イエスはそばを通り過ぎ、自分が共にいることを気づいて欲しかったのではないか。弟子たちはイエスを幽霊と思い、大声を上げ、おびえた。そこで「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と声をかけて、弟子たちを安心させた。イエスが舟に乗り込むと風は静まった。すると弟子たちはまた驚いた。
- 弟子たちは夜通し漕ぎ悩み、風が静まることを願っていたのではないか。今イエスが舟に乗ると風が静まった。そして弟子たちは非常に驚く。福音書著者のマルコは、弟子たちはパンの出来事を理解せず、心が鈍くなっていたと解説する。イエスは神の子であり、色々な奇跡を行ってきたのだから、風が静まっても驚くに当たらないとマルコは語る。驚くのは、心が鈍いせいであり、パンの出来事を理解していなかったからとマルコは語る。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>神に祈ることを大切にされる方
- <御子>弟子たちが漕ぎ悩んでいることをご存じの方。
- <御子>弟子たちのそばに近づいてくださる方。
- <御子>風を静め、弟子たちの悩みを解決する方。
☆神が私たちに求める生き方
- <警告>心を鈍くさせないこと
- <勧め>理解力をもって事態を理解すること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、イエス様は山に退き祈られました。願いごとを祈るというよりは、御自分の思いをあなたに告げ、またあなたの御心を確認されたのではないかと思います。祈りというと願いごとを告げることと考えがちですが、私たちの思いをあなたに告げること、聞いていただくことも大切だと思います。今日は、いくつかの思いをあなたにお話ししたいと思います。
- イエス様は弟子たちが漕ぎ悩んでいることをご存じでした。私たちの現実をイエス様はご存じであると信じます。弟子たちはイエス様が通り過ぎるのに気づかず、幽霊だと思ってしまいました。私たちの現実をご存じのイエス様は、私たちのそばにおられることを信じます。そして私たちの問題、悩みについて導きを与えてくださると信じます。
- 今日は祈りの課題としているいくつかのことについて、私の思いをあなたにお話ししたいと思います。またイエス様も私の思い、私の状況をご存じなので、私に対する導きをいただきたく思います。祈りを導いてください。
☆与えられた導き
- 最近の思いを神さまに話す。