マルコ福音書 16章1~8節 復活を信じる
2022年4月20日
(内容)
- 安息日の朝、3人の女性がイエスが葬られた墓に行った。墓の中に若者がいて、イエスは復活したと告げた。若者は弟子たちへの伝言を頼んだ。
(黙想)
- 3人の女性たちはイエスが十字架で死ぬのを見た。そしてアリマタヤのヨセフがイエスの遺体を墓に葬るのを見届けた。そしてイエスの遺体に香料を塗るべく墓に出かけた。
- 墓の入り口には大きな石が置かれていた。この石をずらさないと墓の中には入れない。それが女性たちの気がかりだった。しかし墓に来てみると不思議なことに石がどかされており墓の中に入ることができた。中に入ってみると若者がいて、「イエスは復活なさった」と告げる。さらにイエスはガリラヤへ行くので、そこに行けば会えると弟子たちに伝言するようにと言った。
- 婦人たちは墓を出て逃げ去ったとある。震え上がり、正気を失っていた。恐ろしかったからと理由が書かれている。
- その若者は、白い長い衣を着ていたとある。彼が天使、神の使いであることが暗示される。女性たちはどう受けとめたのかは分からない。しかし、墓の中に人がいるなんて考えもしなかったから驚いたであろう。石が転がしてあったことが不思議であり、若者が中にいることも不思議であり、不思議が重なると気味が悪くなる。そして若者はイエスが復活したと語る。
- 復活したとはどういうことか女性たちは分からなかった。これも理解を超えた事柄であった。驚くべきこと、不思議なこと、理解を超えたことが続いて起きたので、女性たちは、正気を保つことができなかった。自分たちに何が起きているのか、理解できず、混乱し、正気を失った。そして怖くなって逃げ出した。
- イエスが復活したとのメッセージが語られた。しかし余りにも生々しいメッセージ故、聞いた女性たちは、信じる前に、恐れに囚われてその場を離れてしまった。
- 私たちはイエスの復活のメッセージを礼拝において、説教者が語るのを聞く。あるいは聖書で読む。冷静に聞くことができる。現代人であれば、復活なんてあり得ないこと、信じられないとの反応を招く。しかし礼拝で説教を聞き続ける中で、復活を信じる人も出てくる。
- イエスは復活したと聖書は告げる。信じるか信じないか、それは復活のメッセージを聞く人の自由である。大切なことは、復活という出来事が意味していることを知ることである。その意味を聞いた上で、信じるか信じないかの決断をする。信仰者は聖霊の導きを受けて信じ、信仰の決断をする。
- このマルコ福音書は、復活の意味、意義については語らない。しかし十字架で死んだイエスは復活し、死で終わったのではないことを告げる。イエスが神を冒とくして死んだのなら、死んだままであり復活という出来事は起きないだろう。マルコ福音書は、イエスはメシアであることを伝えようとしている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエス・キリストは十字架の死より復活された。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>イエスの復活を信じるなら、復活を信じる意義についてきちんと理解すること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、イエス様の復活を聖書から読むことができて感謝します。イエス様の復活の出来事の意味について知ることが大切ですね。復活の出来事が歴史的事実であることを信じるだけでは、不十分です。その意味を信じてこそ、イエス様の復活を信じる意義があります。
- 何よりもイエス様は死に勝利したことを思います。死の支配は打ち砕かれました。そして私たちも復活の希望が与えられ、死を越える希望が与えられています。私たちは復活されたイエス様の命にあずかり、信仰者として新しい命に生きることができることを信じます。神の子とされ、罪に打ち勝ち、聖なる者としての歩みが可能とされたことを信じます。
- 今日は、復活の意味について神学的に再確認するために、先日購入した深く理解するための『キリスト教教義学 上』(近藤勝彦)の復活の部分を読むことにします。
☆与えられた導き
- 『キリスト教教義学 上』(近藤勝彦)の復活の部分を読む
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読んだが、目新しい点はなかった。