第一コリント 15章3~8節 最も大切なこと
2021年4月19日
(内容)
- パウロが伝えた福音はパウロ自身も受けたものであり、それはキリストが聖書に書いてあるとおり、私たちの罪のために死んだこと、葬られたこと、そして、また、聖書に書いてあるとおり、三日目に復活したことである。
(黙想)
- 「聖書に書いてあるとおり」との表現が二度繰り返されている。つまりキリストによる救いは、あらかじめ計画されていたものであることが分かる。正確に言えば、世の初め、神が世界を創造される時にすでに計画されていたといってよい。
- キリストの復活をパウロは「最も大切なこと」として伝えてきた。
- キリストは私たちの罪にために死んだ。十字架の死。これは滅び行く者には愚かであり、ユダヤ人にはつまずきであり、異邦人には愚かなもの。しかし救われる者には神の力である。十字架で死んだ者が救い主なんて、普通は理解できない。
- 旧約聖書から、キリストの死は、罪を償うためのものであることが知られる。
- キリストは、御自分を殺そうとする者たちのたくらみにより、十字架につけられ死んだ。しかし三日目に復活させられた。イエスを亡き者にしようとする人間のたくらみは成功したかに見えたが、失敗した。イエスは誕生する際、ヘロデ王の手によって殺されかけたがエジプトに避難して難を逃れた。イエスは活動を始められる時、荒野で悪魔の誘惑に遭われた。
- イエスの働きを失敗させようとする悪魔の働きは完全に失敗した。それがイエスの復活である。復活によりイエスはただ死に勝利したのではない。死の支配、罪の支配に対して勝利したのである。悪魔にも勝利したことを忘れてはならないだろう。
- 福音をどう理解するかは大切である。イエスの死は罪の償いの死であった。三日目にイエスは復活した。イエスの復活は、罪に死んだ私たちを新たに生かすことを示す。私たちはキリストと共に死に、キリストと共に生きる。罪の支配から解放されて、自由に神に仕える者として生きることができるようにされた。自分を第一にしている自己に縛られていることから、神に仕え、真に自分らしく生きることへと解放された。
- この福音を宣べ伝えるよう神さまに召されて牧師になった。そして今、教会に仕える働きは終わった。比較的自由に生きる身となった。今までとは別な立場、観点から福音を伝えたいと願って歩んでいる。インターネットを利用して発信をしている。これがどんな効果、影響をもたらしているのかは分からない。ただ神に用いられることを願っている。健康が許される限り続けていきたいと思う。
- まだまだ学びを必要とする身でもある。福音を完全に理解したわけではない。先人が明らかにしてくれたものに親しみ、学び、心から救いを感謝したいと思っている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御子>御子は十字架で死に、三日目に復活された方。
- <御父>御子を通しての救いは、父なる神の計画であった。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>自分が福音をどう理解しているのかをまとめ、神に感謝してはどうか。
- <勧め>さらに福音を学ぶ。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。パウロが語った福音は彼が受け継いだものでした。私も福音を受け継ぎ、信じ、語ってきました。今、毎週の説教の務めから退き、ゆったりした心で福音とは何かを考えてきました。先人に教えられることが大きいです。自分の力で福音の豊かさ、深さを知り尽くすことはできません。ですから、さらに学び、また伝えたいと思います。
- わたしの信じる福音と題して、証しの文章を書き、ブログで発信したいと思いました。また今読んでいる『The Cross』(十字架、MLジョンズ)の本も読み進めていきます。導いてください。
☆与えられた導き
- 証しを書く。
- The Cross を読み進める