マルコ福音書 14章43~50節 イエスを見捨てる弟子たち

2022年3月29日

(内容)

  • イエスを捕らえる者たちをユダが先導し、イエスは捕らえられる。弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった。

(黙想)

  • 捕らえられることは、聖書の言葉が実現するためであるとイエスは言われた。イエスが捕らえられることは言い換えると神の御心であり、神の計画である。その計画は聖書(旧約聖書)に書かれている。
  • 救い主の苦難を預言したものとしては、詩編22編、イザヤ53章が上げられる。これらが何百年か先のイエスのことを直接預言しているとは思わない。イスラエルの歴史は苦難の歴史であり、イエスの苦難と重なると理解する。
  • 聖書の言葉が自分の身において実現するというと、何か喜ばしい気がする。しかしイエスの場合はその苦難が聖書の言葉の実現となる。喜ばしいものとは思えない。だからゲッセマネの園でイエスはこの杯をわたしから取りのけてくださいと祈られた。その上で御心に適うことが行われるようにと祈られた。神の御心にイエスは従順に歩む。捕らえられることは神の御心である。イエスはこれから逃げようとはしない。
  • 聖書にはこの歴史を貫く神の計画が書かれている。イエスの受難は、この救いの歴史の中のターニングポイント、折り返し地点である。イエス以前は救いの待望、イエス以後は救いの証しの時である。
  • そして弟子たちはイエスが語ったように、イエスを見捨てて逃げてしまった。イエスの予告通りのことが起きた。人間は実に頼みにならない存在である。
  • 弟子たちは、「あなたのことを決して知らないとは言いません」と言い切った。この言葉には弟子たちのプライドがある。自分たちはイエスを知らないと言うほど情けない人間ではないというプライド。しかし恐れに捕らわれ、イエスを見捨てて逃げてしまった。人間は自分を誇ることはできない。
  • 主イエスはひたすら神の御心に生きようとする。神の救いの計画に参与する。
  • 我々の場合、自分の身に聖書の言葉が実現するといえば、終わりの日である。死者の中から復活し、最後の審判を受け、そして御国に迎えられることである。新約聖書にある約束である。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>抵抗することなく、捕らえられる方。神のご計画に従う方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>自分の弱さを認めること。自分を誇ることは決してしてはならない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエス様が徹底的にあなたに信頼し、苦難の道を歩まれていることが印象に残ります。あなたへの絶大なる信頼があります。私たちはつい、自分の身に何かあるとあなたの愛を疑い、またあなたに信頼することにためらいを感じます。あなたをたたえることに躊躇するようになります。結局、私たちは自分の歩みがうまく行っているか否かで、物事を判断します。信仰の歩みをしていても、自分の信仰の歩みがうまく行くかどうか、つまり人生の主人公が自分なのです。
  • 物事を見るとき、自分という視点に立つのではなく、あなたの視点に立つことができるように導いてください。自分にとってどうなのかではなく、神さまから見たら、どうなのかとあなたの視点に立つことができるように導いてください。
  • 今、ロシアのウクライナへの軍事侵攻が世界中が注目する事態です。決して見過ごすことができない事態です。ロシアに対しては経済的な制裁が加えられています。何とか停戦が成立し、平和が戻るのが願いです。同時に正義が行われることをだれもが願うと思います。一方的に他国に侵略し、攻撃を加え、町を破壊する行為は許されません。このような事態の中にあって、神さまの御心はどこにあるのか、神さまは私たちに何をするように願っておられるのか、考えてみたいと思います。そしてあなたに従順な歩みをしたいです。
☆与えられた導き
  • 今起きている事態に対して神さまの思いを思いめぐらす

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  • 真の平和は、イエス・キリストによらなければできない。隔ての中垣はイエス・キリストにしか取り除けない。エフェソ2:14以下。
  • 現在のロシアと西側諸国の間には隔ての中垣がある。
  • 政治指導者たちは人間の知恵によって、問題を解決しようとしている。
  • ロシアも西側諸国も力によって相手を屈服させようとしている。
  • 今は力比べが行われている。
  • 一日も早い停戦を、との祈りがどんなに祈られても、聞かれるとは限らない。第二次世界大戦の時、ナチスはユダヤ人の大虐殺を行った。神がこれを止めようとしたとは思われない。今回も力比べの成り行きによって結論が出るのではないか。
  • 神の御心はどこにあるのか。真の平和は、イエス・キリストによらなければできないことを人類が知ることにあるのか。ロシアの軍事侵攻で失われた多くの命はこのことを訴えているのではないか。
  • 私たちは祈ることを許されている。一日も早い停戦を祈ることは信仰者として自然のことである。
  • テレビで報道される色々な事態を覚えて、祈ることも大切なのではないか。
    たとえば「外国に避難したウクライナの人たちのための祈り」「ウクライナの大統領のために祈り」「ロシアの大統領のために祈り」「ロシアの市民に何が起きているのか、事実が伝わるようにとの祈り」「砲撃で住んでいる町が破壊され、住まいを失った人のための祈り」などなど。