第二コリント 13章5~10節(2) 信仰の吟味

2022年2月23日

(内容)

  • パウロは自分の信仰を吟味するようにコリントの人たちを促す。イエス・キリストが自分の内におられることが分からないのですかと問う。

(黙想)

  • パウロは自分の信仰を吟味するように語る。具体的には、イエス・キリストが自分の内におられることが分からないのか、と問う。パウロはガラテヤ2章でキリストが自分の内に生きておられることを語る。

ガラテヤ 2:20
生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。

  • パウロは13章4節で「神の力によってキリストと共に生きている」と語る。この場合のキリストはどこにいるのか。パウロにとってキリストはいつも自分の内におられ、そしてキリストは自分といつも共におられるということなのか。ガラテヤ書はキリストがわたしの内にあって生きていると語る。
  • キリストが内におられるなら、それは何のためなのか。キリストを下宿させているわけではない。キリストは何のために我々の内にいてくださるのか。何かあったら、働いてくださるためなのか。それとも我々の内にあって導こうとされるのか。
  • イエスはヨハネ福音書でこう言われた。

ヨハネ14:23
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む」。

  • ヨハネは、信仰とは、神との交わりに生きることであることを教えているように思う。神との交わりに生きるためには、神の言葉、神の教えを守ることが大切である。神の御心を大切にしてこそ、交わりは成立する。神の臨在が保証される。信仰者とは神の臨在の中に生きる者である。
  • パウロは第二コリント3章でこう語っている。

第二コリント 3:18
わたしたちは皆、顔の覆いを除かれて、鏡のように主の栄光を映し出しながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていきます。これは主の霊の働きによることです。

  • 種を植えるとそこから芽が出て成長する。やがて実を結ぶ。イエス・キリストが私たちのうちにおられるとは、キリストという種が蒔かれたと考えることができる。その種が成長するとは、信仰者である私たちがキリストに似た者に造り変えられていくことを意味する。これはすてきな解釈だ。キリストという種、それは御言葉である。
  • パウロは、コリント教会の人たちが「完全な者になる」ことも祈っていると書く。これは驚く。この祈りが聞かれるのは、終末の時、御国に迎えられたときである。パウロはコリント教会の人たちが少しずつでも、キリストに似た者となることを願っている。牧会者はこういう祈りをするのだ。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>信仰者である我々の内におられる方
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>キリストがわたしの内にいることを確認すること

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。イエス・キリストが私のうちに生きておられることをあなたは知っているのかと問われた気がしました。そして今日は、一つの解釈を与えられ、うれしく思いました。私もキリストがわたしの内に生きておられると告白できます。この告白について、証しの文章を書いてみたいと思います。そしてわが内におられるキリストと共にこれからも歩んでいきます。
☆与えられた導き
  • 証しの文章を書く