第二コリント 13章11~13節 神の祝福
2022年3月1日
(内容)
- 手紙の最後。大切な勧めと祝福の言葉。「完全な者になりなさい」との勧めは驚くが、真の牧会者の言葉だと思わされる。
(黙想)
- 手紙の最後のパウロの勧めは味わい深い。まず「喜びなさい」。信仰者は喜べることが起きたから喜ぶのではない。それではいつも喜ぶことはできない。神が共におられる、自分は救われている、この救いの事実をいつも喜ぶのである。しかしこの喜びが建前にならないように、しかもマンネリ化しないように、いつも新鮮に喜ぶのである。決して簡単なことではない。真剣に信仰に生きることが求められる。
- 「完全な者になりなさい」。完全な者なんかなれっこない。そう人は思うかも知れないし、そう思って、この勧めを無視してしまうかも知れない。そんなことはパウロは承知している。問題だらけのコリント教会信者である。そんな彼らに「完全な者になりなさい」とは冗談でしょ、と言いたくもなる。彼らをからかっているの、と言いたくもなる。でも違う。我々は完璧な信仰者になれない。生きている限り、罪との戦いがある。パウロの真意は、常に信仰において成長しなさいとの勧めと受けとめるのがよい。どこまで自分は成長したのか、と達成度合いを考えるのではなく、成長を目指す姿勢を持ち続けることが大切だと考える。信仰の未熟な人も成熟した人も、求められるのは常に成長を目指す姿勢、信仰である。
- 「励まし合いなさい」。信仰者は互いに励まし合うことが大切である。イエスは互いに愛し合いなさいと教えた。励まし合うことは愛することの具体化でもある。信仰者が教会に集うのは、励まし合うためでもある。そこにキリストの体である教会が生まれる。
- 「思いを一つにしなさい」。教会に集う人は生活状況が異なる。年齢も違うし男女の違いもある。経済的な状況も違う。生活上抱えている課題・問題も異なる。政治的な立場も異なるかも知れない。いったい、どのようにして思いをひとつにできるのか。それは、神を崇めて生きる、しかも真剣に生きる、この一点において、思いをひとつにできるのではないか。
- 「平和を保ちなさい」。教会に集う人たちが和やかに神さまを礼拝し、賛美し、喜びを与えられ、力を与えられる。そこにキリストの与える平和が宿る。この平和を背に、この世の生活に向かう。
- そして「愛と平和の神が共にいてくださる」との約束を信じて生きることができる。ありがたく、感謝なことである。そしてパウロは、三位一体の神の祝福を祈る。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御父>愛と平和の神。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>いつも喜ぶこと
- <勧め>完全な者になること。信仰の成長を目指し続けること
- <勧め>励まし合うこと
- <勧め>思いを一つにすること
- <約束>愛と平和の神がいつも共にいてくださる
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、味わい深い勧めを受けました。感謝です。今日心に留まったのは、愛と平和の神であるあなたがいつも共にいてくださることです。老いの中にあって、弱さを覚え、望みを見失い、喜びが遠のくような現実がありますが、あなたが共にいてくださることを覚えます。自分の気持ちをあなたに伝え、あなたとの交わりを持つことができるように導いてください。
- そして老いの中にあって、なお信仰者として成長を目指して生きることができるように導いてください。老いの中にあって、喜び、励まし合い、思いを一つにすることにおいて成長できるように導いてください。なお信仰の先達の書物を読み、励ましを受けることを願います。
- 神さま、祈りとブログと読書を心がけます。ブログは、ブログを読む人たちを励ますため。祈りは、神との交わりを深め、いつも喜ぶことができるように。そして読書は自分が励ましを受けるためです。アウグスティヌスの本を読むことをここに書き留めます。忘れてしまうことがないためです。
- 今日も聖書を思いめぐらすことができて感謝です。このひとときは喜びの時です。感謝します。
☆与えられた導き
- 今読んでいる本を今日も読む。
- 神との交わりを深めるために祈る。