第二コリント 12章1~6節 自分の弱さを誇る
2022年1月15日
(内容)
- パウロは自分が体験した神秘的な体験を語る。しかし自分自身については、弱さ以外には誇るつもりはないと語る。
(黙想)
- 「自分自身については自分の弱さ以外には誇るつもりはない」。これは驚くべき言葉である。人は自分の弱さを誇ることなどしない。弱さを隠し、自分を強く見せようとする。それがうまく行かないと知ると、人は仕方なく自分の弱さを受け入れることを学ぶ。人間の知恵として学ぶこともできるし、信仰によって自分の弱さを受け入れることを学ぶことができる。僕も信仰によって自分の弱さを受け入れることを学んだ。
- しかしパウロはここで、この自分自身の弱さのみを誇るという。この世の人にとってはありえないことである。信仰者でも自分の弱さを受け入れることができたとしても、弱さを誇ることは簡単にできることではない。自分の弱さ以外には誇るつもりはないとのパウロの言葉は、信仰者でも信じがたい言葉である。しかしパウロの強い思いが現れている。
- 自分の弱さを受け入れることと自分の弱さを誇ることは実は表と裏の関係にあるのではないか。自分を主語にすれば、自分の弱さを受け入れるとなる。神抜きに、神なしに自分の弱さを誇ることはできない。神を主語にすれば、神の助けがあるから自分の弱さを受け入れることができるので、神を誇ることができ、そして自分の弱さを誇ることができる。自分を主語にするか、神を主語にするか、それは大きな違いがある。自分の生き方が問われる。自分中心の生き方か、神中心の生き方か。信仰者でも自分中心に生きることは普通である。信仰者は完全に罪から自由になるわけではないから。神中心に生きることは常に目標である。
- 弱さがあるおかげで神を求め、弱さを受け入れることができた。そこでストップするのではなく、弱さを受け入れることを可能にしてくれた神を誇ることへ一歩踏み出すことが大切となる。これは神中心の生き方を推し進める助けとなるように思う。自分の弱さを神さまのおかげで誇ることができると告白することは自分の意識、そして生き方を変えるのではないか。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>自分の弱さを誇る。自分については弱さ以外に誇らない。
- <模範>自分弱さ以外のものを誇らないと語るパウロは模範。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日は自分の弱さを受け入れることと誇ることの違いを教えられ感謝します。私は自分の弱さを受け入れることができて感謝してきましたが、自分の弱さを誇りにはしてきませんでした。それは自分中心のものの見方をしているからですね。このことを悔い改めます。あなた中心に考え、生きるなら、自分の弱さを誇るのですね。パウロは断固として、自分の弱さ以外のものを誇るつもりはないと明確に語りました。
- 自分の弱さを受け入れることができたことについてはブログなのでも証しをしてきましたが今日は、これを誇ることを教えられました。まずは、自分の弱さを列挙し、これを誇ると祈りの中で告白したいと思います。そしてすこしでもあなた中心の歩みができることを願います。導いてください。
☆与えられた導き
- 自分の弱さを誇る祈りをする。
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祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書から大切なことを教えられました。自分自身については自分の弱さ以外のものは誇るつもりはないとのパウロの信仰に学びます。そして私も自分の弱さを誇りたいと思いました。
- 天の父なる神さま、私はかつて劣等感で悩みました。なかなか劣等感から解放されませんでした。ある時、あなたはわたしがどのような人間であるのかをご存じの上で私も牧師となるように導かれたから、自分の不足を嘆いたり、劣等感を覚える必要はないことを知りました。自分の力ですべてのことを行うなら、力不足は問題となります。でも私には導いてくださるあなたがおられます。私が力不足だから、それを補って神さまが助け導いてくださいます。私の力不足はあなたの導きを引き出すものと考えるのなら、力不足を受け入れることができるし、誇ることもできると知りました。感謝します。力不足を誇り、助け導かれるあなたを誇ります。