第二コリント 11章30~33節 弱さを誇る

2022年1月12日

(内容)

  • パウロは、誇るなら自分の弱さを誇ろうと語る。多くの人は肉に従って誇るが、それは愚かなこと。真に誇るべきは自分の弱さにかかわることである。

(黙想)

  • 30節。「わたしの弱さにかかわることを誇りましょう」。これを読んでコリント教会の人たちはどう思っただろうか。まずは驚くだろう。そしてパウロは愚かなことを語っていると傲慢に受けとめるのか、それともこの言葉には深い意味があると謙遜に受けとめるのか。
  • この世に生きている人間は、自分の弱さを誇ろうとは考えない。これはキリスト者のみが言いうることであり、これを言えるか否かで、真のキリスト者か名前だけのキリスト者であるか区別できるとも言える。何よりもイエスは弱さの中で十字架の上で死なれた。パウロはキリストに模範を見ている。キリストはだれもが認める強い救い主ではない。
  • コリント教会の人たちはパウロの言葉をどう受けとめたのか。コリント教会の人たちを惑わした人たちは、自分を誇るような人たちだから、パウロのことを認めようとはしなかったのであり、弱さを誇ることは理解できなかっただろう。
  • 31節。「イエスの父である神は、わたしが偽りを言っていないことをご存じです」。パウロが体験した困難なこと、迫害を受けたことなどを指しているのか。それとも弱さを誇るということなのか。いずれにしてもパウロは心からの真実を述べているのである。人は自分が語ることは本当のことだと人に保証することはできない。いくらでも嘘をつくことができる。しかし神の前ではできない。人の真実を見抜く神の前でパウロは「わたしは偽りを語っていない」と書く。
  • 32~33節。ダマスコでの経験がなぜここにあるのか。ダマスコでアレタ王の代官の手から逃れたことがなぜ弱さを誇ることとつながるのか。パウロはダマスコにいる信者の助けを得て城壁からつり降ろされて代官の手から逃れた。難を逃れるために人の助けを得たことを自分の弱さと結びつけたのか。
  • 弱さを誇るということは人間の常識とは異なる。人は肉に従って誇る、すなわち自分のもつ何かを誇るのであり、自身を誇るのである。自分の弱さは誇る対象とはなり得ない。しかしパウロは自分の弱さを誇ると語る。伝道の困難なとき、弱らずにはおれないとき、神の導き、助けを得たので、弱さを誇ると言えるのだろう。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>自分の弱さに関わることを誇ること
  • <勧め>いつも真実を語ること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。自分の弱さにかかわることをパウロは誇ると書きました。年をとった者は心身共に衰えを覚え、弱さを覚えるものです。このような衰えに抵抗して生きていく道もありますし、弱さを受け入れて生きる道もあります。しかし弱さを誇る道があるとパウロは言います。
  • 今の私は健康の面では恵まれていると思います。色々な形で訃報を見聞きするときに自分の命にも終わりがあること、それはいつ来るか分からないし、今来てもおかしくない状況にあることを思います。命の終わりをどのように迎えるのかは課題となってきます。このような状況でだれもが不安を覚えるのではないかと思います。ある人は「悟り」ということを言うかもしれません。静かに自分の終わりを受け入れる覚悟ができているというわけです。信仰者には、死後の希望があるので、うろたえることなく、平安のうちに死を迎えることができるわけですが、不安を覚えます。
  • もしこれを弱さと呼び、この弱さを誇るとするなら、どう考えればよいのかと思います。あなたは「恐れるな、わたしがあなたと共にいる」と言われるのでしょうか。弱さを誇るとき、自分の内に誇ることのできるものを見出すことはできませんね。「恐れるな、わたしがあなたと共にいる」と語りかけてくださるあなたを誇るのですね。
  • 今日は聖書の中であなたが人々に向かって「恐れるな」と語っている場面を拾い出し、私自身への励ましとしたいと思いました。感謝します。
☆与えられた導き
  • 「恐れるな」と神が語りかける場面を拾い出す。

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創世記 15:1
これらのことの後で、主の言葉が幻の中でアブラムに臨んだ。「恐れるな、アブラムよ。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きいであろう」。

イザヤ 43:1
ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。

エレミヤ 1:7~8
しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。

ルカ 12:32
小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。

使徒言行録 18:9~10
ある夜のこと、主は幻の中でパウロにこう言われた。「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。

不安になったり、恐れを覚えることは不信仰ではない。「恐れるhな」と呼びかける神の声を聞いて生きるのが信仰であり、恐れや不安にとどまり続けるのが不信仰である。