マルコ福音書 5章1~20節 主の憐れみ
2022年1月18日
(内容)
- イエスは汚れた霊に取りつかれ、苦しんでいた人から汚れた霊を追い出された。そして主があなたを憐れまれたことを身内の人に知らせるようにお命じになった。
(黙想)
- この汚れた霊に取りつかれた人の苦しみが伝わってくる。人々から足枷や鎖で縛られる。ひどい仕打ちである。しかし汚れた霊のせいで暴れるので、そのようにされたのであろう。また石で自分を打ちたたくなど汚れた霊のせいで自分を傷つける、これも悲しいことである。
- 汚れた霊につかれた人がイエスのもとに来たとき、イエスはすぐに霊を追い出された。イエスの憐れみ深さを知る。
- 汚れた霊に取りつかれるとはどういうことか、今日もそういうことがあるのか、それはわからない。
- イエスは汚れた霊に取りつかれた人を憐れみ、救うことができるお方である。汚れた霊に取りつかれた人の近隣の人たちは、足枷や鎖で彼を縛り付けることしかできなかった。ここには人間の限界がある。彼をいやすことができない限界、彼を愛することができない限界。その限界を超えてイエスは人を憐れみ救う方である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>憐れみ深い方。
- <御子>汚れた霊、悪霊から人々を救うことができる力あるお方
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>主が私を憐れみ、私を救ってくださったことを身内の人に知らせる。主の救いを証しすること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、私たちの社会では、昨日まで普通の生活していた人が突然死にたいと考え他の人を巻き添えにして死のうとする事件が起きています。一ヶ月ほど前、大阪の医院に行き、油を撒き火を付け、20数名の人を一酸化中毒で死なせ、自ら死んだ人もいました。つい先日、高校生が死にたいと言って、東大の門のところで受験に来た高校生を刃物で刺したという事件もありました。
- 死にたいと思うことは何かに追い詰められてのことです。なぜどのように追い詰められたのかは分かりません。このように追い詰められた人がいるのが、私たちの社会の現実です。他者を巻き添いにして死のうとの思いに束縛され、そこから出ることができず、行為に及んだことは、残念なことです。なんか悪しき力に束縛されたように思えてなりません。
- 天の父よ、追い詰められた人たちが救いを与えられるようにと願います。他者を傷つけるような犯罪に走る前に、救いの手が伸べられるようにと祈ります。二度とこのような犯罪が起こらぬことを願います。
- またイエス様は憐れみ深いお方です。主の憐れみにすがって祈りたいことがあるので、祈ります。
☆与えられた導き
- 追い詰められた人が救われるように祈る
- 主の憐れみにすがって祈る。