マタイ福音書5章31~32節
2020年7月28日
(内容)
- 離縁についてのイエスの教え。不品行以外の離縁をイエスは禁じているように思える。
(黙想)
- 申命記に離縁について次のように書いてある。
申命記 24:1
人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。
- 当時は男性中心の社会で、夫が妻を気に入らなくなれば、自由に妻を離縁していたらしい。男性の身勝手が通用していた。身勝手さに歯止めをかけるために律法は離縁状を出すことを命じた。離縁状を出すことによって女性は他の人と結婚できる。ファリサイ派の人たちは、申命記の教えを承認していた。
- しかしイエスは「わたしは言っておく」と教え始める。まず「不法な結婚でもないのに」とある。意味が分かりにくい。口語訳聖書では「不品行以外の理由で」とあり、伴侶を裏切るような行為以外の理由での離縁は、離縁された女性に姦通の罪を犯させることになるとイエスは語る。
- マタイ19章で、離縁についてのイエスとファリサイ派の人たちとの問答がある。そこではイエスは、創造主なる神は男と女をお造りになり、二人を結び合わせ、夫婦は一体となった、と創世記の言葉を引用する。そしてイエスは神が結び合わせたものを人は離してはならないと語る。
- 不品行、つまり伴侶以外の異性と関係を持つことは、夫婦の一体性を破壊する。だからイエスは不品行は離婚の理由になると教える。
- しかしそれ以外の理由をイエスは認めないていないようである。不品行以外の理由で離縁した場合、女性が別な男性を結婚すれば、元夫との一体性は存続しているので、女性は姦淫を犯したことになると説明している。イエスは結婚が神に由来するものであり、夫婦は一体であり、不品行以外の理由での結婚は許されないと考えている。
- 日本は異教社会であり、結婚が神に由来するという考えはない。結婚も離婚も人間が自由になす行為である。現代でも不品行による離婚はいくらでもあるし、性格の不一致という理由での離婚もある。人は幸せになるために結婚し、幸せになる見通しがなければ離婚する。
- クリスチャンは、聖書の教えがあるので、離婚を考えるときつらくなる場合がある。不品行以外で離婚してはいけないとなると結婚を継続しなければならないのか。そう考えるとつらくなるときがある。もちろん最善の努力は必要となる。しかし色々な理由により結婚生活の維持が困難な場合もあるのではないか。
- マタイ19章のファリサイ派の人たちとの問答の最後でイエス様は次のように教えている。
19:8
イエスは言われた。「あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない」。
人間の心が頑ななので、不品行以外の理由での離縁を神は許したとイエスは語る。これは今日でも認められると思う。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)不品行以外の理由での離婚は、相手に姦通の罪を犯させることになると語る。
- (御子)不品行以外の離婚をイエスは認めていない。
- (御子)旧約の律法にあるように、人間の頑なさのゆえに不品行以外の理由の離婚もありうるとイエスは認めているように思える。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、離婚は現代でも大切な課題です。幸せになるつもりでした結婚が不幸をもたらすことはつらいことです。私自身は、妻もクリスチャンであり、共に神さまの教えを聞く中で、夫婦が一つになるように努力することができました。これは本当に感謝なことです。
- しかし伴侶が未信者であり、一つとなる努力を夫婦が共にすることができないケースもあるでしょうし、離婚を考えているクリスチャンもいることと思います。このような人たちを神さまが顧み、導きを与えてくださるように祈ります。
- ある姉妹が結婚生活に困難を覚えていると聞いています。深い事情は知りませんが、悩んでいると聞きました。この姉妹のためにしばらく祈り続けたいと思いました。神さまがよき導きを姉妹に与えてくださるようにお祈りします。
☆与えられた導き
- ひとりの姉妹のために祈り続ける。