フィリピの信徒への手紙3章17~4章1節(1)
2019年3月4日
(内容)
- パウロは、「わたしに倣う者となりなさい」「わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい」と勧める。その理由は、十字架に敵対して歩んでいる人が多く、彼らの行き着く先が滅びであるから。そして信仰者の希望は、天が本国であることを教えます。
(黙想)
- 自分にとって信仰の模範となるのは誰だろうか。そのような人が周りにいるのかいないのか。模範となる人がいないなら、「自分が模範となる人になりなさい」と誰かが語ったことを思い出す。この言葉が心にあるということは、僕は模範となる人を見いださなかったのだと思う。
- ただ説教については、むかし福音派の牧師の説教を聞いて印象に残ったことがある。その説教では、聖書をよく引用していた。聖書の引用が多く、引用だけでよく説教になるなと思ったことがある。その説教を実は内心、僕は軽んじたのである。しかし今、僕も説教で聖書をよく引用する。教理を語るより聖書を引用する。説教については、福音派の牧師に見倣っている面があることは確かだと思う。
- 信仰者の生き方としては、模範とする人がいたのか。この人に見倣いたいと思う人には、出会っていない。出会っていないというのは傲慢な言葉で、僕には他者を見る目がなかったのかも知れない。しかし御言葉に生きるために、ディボーションをすることは教えられ、実践してきた。目には見えないが、私と同じようにディボーションして御言葉に生きる人たちが沢山いることと思う。
- 聖書を読んで、私が模範としているのは、実はパウロである。パウロの信仰に倣いたいと思っている。私にとって「生きるとはキリストである」とのパウロの信仰は、見倣いたいと思っている。また「この世を去ってキリストと共にいたいと熱望している」というパウロの思いを共有できたらとも思い、祈り求めている。
- キリストの十字架に敵対している人々の行きつく先は滅びであるとパウロは語る。滅びをどう受けとめるのか。私たちが罪の赦しを必要とするのは、罪に対する神のさばきから救われるためである。罪のゆえに神のさばきを受けるとは言い換えると滅びから救われることである。罪の赦しを信じる、それは滅びからの救いを信じることである。神は世を愛し、独り子を送り、信じる者が滅びないで永遠の命を得るようにしてくださった。独り子を信じない者は、滅びるのである。でも、この滅びを現実感をもって受けとめることがむずかしい。
- 滅びを真剣に考えないと伝道はできない。伝道は、ただよりよい人生に他者に導くことではないだろう。他者の滅びを願わないからこそ、伝道が生まれる。罪を悔い改めない者の滅びをどうしたらリアルに受けとめることができるのだろうか。ヨハネ黙示録では、「第二の死」が語られる。第一の死は肉体の死、これは信仰の有無に関係なく、誰にも訪れる。
- 私たちの本国は天にある。キリスト者の希望である。ここで大切なことは、私たちが天に入る時、キリストの栄光ある体と同じ形に変えられるということ。私たちは何となく理想的な場所(天)に迎えられるのではなく、キリストの栄光あるからだと同じ形に変えられると書かれている。ヨハネの手紙には、御子が現れる時、私たちは御子に似た者になることを知っている、とある。御子に望みをかける者は、御子が清いように、自分を清めると教えられている(3:3)。第二コリントでは、信仰者の歩みは「栄光から栄光へと、主と同じ姿に造りかえられていく」と教えられている(3:18)。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)20節。御子は救い主として再臨される方。
- (御子)20節。私たちの卑しい体を、ご自分の栄光あるからだと同じ形に変えてくださる方。
☆神が求める私たちの生き方
- (模範)17節。パウロ、あるいはパウロたちを模範として歩んでいる人たちに目を向け、見倣って生きること。
- (警告)19節。腹を神とし、恥ずべきものを誇りとし、この世のことしか考えない生き方はやめなければならない。
- (勧め)1節。主によってしっかり立つべき事が勧められる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日の聖書を通して、私たちは何を目指し、そのためにどのような歩みをすべきかを教えられました。目指すのは本国である天、天を目指すために、パウロを見倣って歩むこと、あるいはパウロたちを模範としている人たちに目を向け、その歩みに倣うことを教えられます。また私たちが天に迎えられる時、キリストの栄光の体と同じ形に変えられることも教えられました。
- あらためて、パウロに倣うとは具体的にどうすることかと思わされます。今日はピリピ書を読み、私はどのようにパウロに倣ったらよいのかを考えることにします。また滅びについても思いめぐらしたいと思います。聖書は滅びを教えています。ただよりよい人生を教えているのではありません。よりよい人生なら、どの宗教も教え、信仰がなくても、どのように生きるかを教える人間の知恵は世の中に満ちています。滅びからの救いを聖書は教えています。滅びをどう考えるか、どうリアルに受けとめることができるのか、思いめぐらしてみたいと思います。
☆与えられた導き
- ピリピ書を読み、どうパウロに倣うのかを考える。
- 滅びについて思いめぐらす。