ルカ福音書 21章20~33節
2019年2月22日
(内容)
- 神の怒りによるエルサレムの滅亡、人の子の再臨、いちじくの木のたとえをイエス様は語られた。
(黙想)
- イエス様が話しをされた時点では、エルサレムの滅亡も、人の子の再臨も将来に関わることであり、これは預言である。エルサレムの滅亡は旧約の預言の成就でもある。人の子の再臨は世界の終末の到来である。そして終末は神の国の実現の時である。
- こういう終末の事柄は信じることに困難が伴う。本当か、という思いが信仰者の心の中にはある。少なくとも僕の心にはある。これは肉の思いと言える。イエス様は、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」と言われる。天地が滅びようとも、イエス様の言葉は滅びない、つまり実現するとの意味である。パウロは、「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和である」と語る(ローマ8:6)。
- 本当か、という肉の思いは処置をしなければならない。「肉の思いに従う者は神に敵対している」とパウロは語る。この肉の思いとは、これまで長く付き合ってきた。そろそろ捨てなければならない。今捨てなければ、死ぬまで持ち続けることになる。
(聖書に聞く)
☆神さまはいかなる方か
- (御子)33節。イエス様は「わたしの言葉は決して滅びない」と語られる。イエス様の言葉は真理、真実の言葉なのである。それを「本当か」と疑うのは肉の思い。
☆神さまが私たちに求める生き方
- (勧め)肉の思いを捨てて、信じること。私は肉に従う者ではなく、御霊に従う者である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、肉の思いを捨てるという課題を与えられました。「自然の人は神の霊に属する事柄を受け入れません。その人にとって、それは愚かなことであり、理解できないのです。霊によって初めて判断できるからです」(コリント一2:14)とあります。
- イエス様の再臨、終末の到来、これらは霊的な事柄であり、自然の人には愚かに見えるのですね。私は信仰者であり、霊に属することを考えて生きる者です。自分のアイデンティティーに立ち、自分が何者であるかをわきまえ、肉の思いを捨てることにします。神さま、どうぞ聖霊の導きにより、肉の思いを捨てることができ、霊に従って歩み、命を平和が心を支配するように助け、導いてください。
☆与えられた導き
- 肉の思いを捨てることができるように聖霊の導きを祈り続ける。