ルカ福音書 20章20~26節
2019年2月1日
(内容)
律法学者たちや祭司長たちは、イエスを陥れようとして、人を遣わし、「皇帝に税金を納めることは律法に適っているでしょうか、適っていないでしょうか」とたずねさせた。イエス様は「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられた。イエス様は言葉じりを捕らえられなかった。
(黙想)
- 外国の為政者に税金を納めるべきか否かは、律法には書かれていない。律法に基づいて答えを出すことはできない。しかし律法に適っているかとの問い。律法は神の掟であり、神の御心が示されている。それ故、税金を納めることは神の御心にかなったいるかどうかの問い。それは人を陥れるための問い。
- 「納めるべきではない」と答えれば、ローマ帝国に対する反逆と見なされる。「納めなさい」と答えれば、反逆とは見なされない。しかし問題が起こる。自分たちを支配する国家の貨幣で税金を納めることは、イスラエルの民にとっては屈辱的であるとされている。それ故、「納めなさい」と答えれば、イエス様の評判は悪くなる。イエス様は、「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と見事な返事をされた。
- この時、イエス様はどんなお気持ちだったのだろうか。自分を死に追いやろうとする人々のたくらみが突きつけられるのである。そしてイエス様は何らかの形で自分が死に追いやられることを知っておられる。「先生、私たちは、あなたが真理に基づいて神の道を教えておられることを知っています」と言いながら、イエス様を陥れようとしている人が目の前にいる。彼らは真理に基づき神の道に生きているのか。口では敬うようなことを言いながら、腹の中では陥れようとしている。きっと醜い顔をしている。彼らを前に、彼らの問いを前にイエス様はどんな気持ちでおられるのか。
- そして「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に返しなさい」と答えられた。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- (命令)神のものは神に返すこと。
- (命令)皇帝のものは皇帝に返すこと。私たちはこの世の権力の下に生きており、果たすべき義務が課されている。神はこの世の権力の上に立つが、権力が定めた義務を果たすこともまた必要なことと考える。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、神のものは神に返しなさいとイエス様はお答えになりました。パウロが、「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」と書いています。神のもの、それは私自身であることを思います。そして自分自身を献げる思いで、福音宣教に身を献げてきました。今、その務めからは退きましたが、折に触れて説教の奉仕が与えられています。自分は福音を伝え、また福音にふさわしい歩みをするようにあなたから召されていると信じます。
- 教会が福音を伝える、それは当たり前のことではありません。日本基督教団では、教会員が高齢化し、伝道が振るわず、閉鎖される教会が増え、教会数が減っています。それは単に環境、状況が悪いと言いことではなく、私たちが本当に福音を宣べ伝えているのかという自己吟味を要する事態なのだと思います。福音とは何なのでしょうか。そして福音を伝えきれているのでしょうか。大きな、重い課題です。このことをめぐってあなたに祈りたいと思います。
- 皇帝のものは皇帝に返しなさいと教えられました。まもなく確定申告の時期となります。確定申告をするための資料の整理などいくつかしなければならないことがあります。何をすべきかを列挙します。そして時間を見て準備し、スムーズに申告できるようにしたいと思います。
- 今日の導きを感謝をします。
☆与えられた導き
- この国の伝道を覚えて、神さまに祈る。
- 確定申告のために資料整理の準備をする。