ローマ 5章12~14節(1) 罪の結果としての死

2023年3月17日

(内容)

  • アダムによって罪がこの世に入り、死がすべての人に及んだ。

(黙想)

  • この箇所はむずかしい。そもそも内容が、これまでの流れからして違和感を感じる。なぜ急にアダムが登場するのか。しかもパウロは「このようなわけで」とこの段落が前の段落と続いていることを示唆している。何がどのように続いているのか、分かりにくい。
  • その問題は次の課題として、この段落でパウロが言おうとしているのは何か。12節ではひとりの人アダムによって罪と死がこの世界に入ってきたように、すべての人も罪を犯し、死ぬようになった。すべての人が罪を犯した事態については、1章18節から3章20節まで具体的に書かれていた。パウロはここで、なぜこの世界に罪が入ってきたのか、その原因はアダムにあると書く。
  • 罪の結果、死がこの世に入ってきたというのは聖書のメッセージである。多くの人は、死は、生物にとっては当然のことと考えている。科学者は、なぜ死が当然なのかを語ったりする。だからといって人は自分の死を簡単に受け入れることはできない。死の間際に直面するかも知れない痛みのゆえに死を恐れる人がいるだろうし、死んだら自分がどうなるのか分からず、死を恐れる人もいる。ヘブライ人への手紙2章には、死の恐怖の奴隷となった人をイエスがその恐怖から解放したとある。
  • 恐れにはなぜ恐れるのかの原因がある。その原因を明らかにすれば、恐れの虜から解放されると教会員が語ったことを思い出す。
  • 僕自身は聖書から、人が死の恐怖を感じるのは、最後の審判を無意識に知っているからと思った。神は最後の審判のあることを人間に教えているのだ。神と向き合う生活をせず、自分の思いに従って生きる生活は罪を伴う。それはいけないと神は私たちにひそかに教えている。
  • 死の恐怖からの救いを求めて教会に行き、福音に出会って僕は救われた。それは来世があるから、永遠の命が与えられるからと単純に信じるからではない。それだったら極楽、浄土を信じるのと同じになってしまう。自分がどのように救いを受け取ったのか、言葉化してみたい。

(聖書に聞く)

☆神が私たちに求める生き方
  • <教え>罪が原因で死が世に入ってきた。人が死ぬのは犯した罪のせいである。罪の支払う報酬は死である。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。そして罪と死について思いめぐらしましたし、自分が死の恐れからの救いを求めて教会に通い始めたこと、そして信仰に導かれたことを思い出しました。
  • 聖書は人間の問題に深い洞察を与えていることを感謝します。聖書を読むことが喜びです。今日は聖書により、死の恐怖からどのように救われたのか、言葉化してみたいと思いました。
  • 私は老いの中にあるので、この作業は恵みと感謝の作業になると思います。導いてください。
☆与えられた導き
  • 自分が死を受容した過程を振り返る。