マルコ福音書 6章30~44節 飼い主のいない羊

2022年4月27日

(内容)

  • イエスは弟子たちと一緒に舟に乗って人里離れた場所へ行こうとした。しかし多くの人々は、それと気づき、イエスが行こうとしているところに先へ着いた。イエスは彼らを教え、彼らに食べ物を与えた。

(黙想)

  • 大勢の人に食べ物を与えた出来事は、8章の1節以下にもある。ここの箇所は、ある意味不自然さがある。33節でイエスたちが人里離れたところに行こうとしたのを見た人々は、イエスたちが行こうとするところに先に着いたとある。ここに「それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ」とあるのは不自然な表現である。イエスと弟子たちが舟でガリラヤ湖を横断し行こうとするところへ先回りをすることは可能としても、このことをすべての町の人が聞きつけ、ここに駆けつけるというのは、出来事としてあり得ない。
  • この段落は、イエスの活動中のひとつの出来事を語っているというよりも、イエスの活動を象徴的に物語っていると考えるのがよいと思う。34節でイエスは大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始めたとある。
  • イエスの目に映る人々の姿は飼い主のいない羊のようである。これが人間の現状。そこでイエスは、神の国の福音を宣べ伝えるために来たし、この場面で、神の国の福音を教えられたと解釈できる。そして弟子たちが「人々を解散させ、人々が食べ物を買いに行くようにしましょう」とイエスに提案すると、イエスは弟子たちが食べ物を与えるように語る。つまり神の国の福音を弟子たちが語ることをイエスは指示している。イエスの活動を弟子たちが引き継ぐのである。
  • 弟子たちがイエスが裂いたパンを人々に配ったとの記述は、神の国の福音を語るとき、弟子たちはイエスの導きを受けることが必要であることを示唆している。礼拝で説教者が聖書を説き明かして説教をするとき、イエスの導き、聖霊の導きを必要としていることを示唆している。
  • 神の目から見れば人は飼い主のいない羊のような存在である。しかし多くの人は、自分で物事を考え、決断して生きており、飼い主のいない羊のようであるとは考えない。自分の力で生きていくことができると考えている。そして人間の世は、問題だらけである。それは人間が飼い主のいない羊であることを示している。
  • 私たちは聖書を読み、聖書に養われることが大切である。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御子>イエスには人々が飼い主のいない羊のように見えた。イエスは彼らを教える方である。
  • <御子>弟子たちに人々にパンを与えるよう命じる方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <勧め>神の国の福音を宣べ伝えること。証しすること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエス様には人々は飼い主のいない羊のように見えました。きっとあなたも、私たちが飼い主のいない羊のように見えるのでしょうね。人間の世は、いつも争いが満ちていて平和がありません。しかも人間は自分たちが賢い者であるかのように振る舞っています。ロシアがウクライナに軍事侵攻を行いました。ロシアの大統領は自分がまともなことをしていると考えているようです。
  • 福音を宣べ伝えることの大切さを知ります。しかし現代、キリスト教国でも礼拝に出席する人が減り、福音を本気で信じる人が減少している現実があります。キリスト教の倫理的な教えは好まれても、自分が罪人であることを認め、悔い改めることは真剣に受けとめられない状態にあると思います。残念です。
  • でもイエス様は「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と福音を宣べ伝えることを命じておられると思います。私は教会の働きからは退きました。今は証しの働きをしたいと願い、行っています。ささやかな働きですが、あなたの導きと励ましをいただきながら、続けていきたいと願っています。導いてください。励ましてください。
☆与えられた導き
  • 導きと励ましを祈り求める