ヨハネ福音書 1章6~13節 光を信じる者

2021年12月13日

(内容)

  • 洗礼者ヨハネが光を証しするために神から遣わされた。世は光を認めなかった。言を信じる者は神の子となる資格が与えられた。

(黙想)

  • 「世」とは何か。いくつか意味がある。この世界に生きている人間を指している。

ヨハネ 1:9
その光は、まことの光で、世に来てすべての人を照らすのである。

  • この「世」は世界を意味する。私たちが生きている物理的な環境としての世界である。

ヨハネ 3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

  • ここでは「世」はこの世界に生きている人を指している。

ヨハネ 15:19
あなたがたが世に属していたなら、世はあなたがたを身内として愛したはずである。だが、あなたがたは世に属していない。わたしがあなたがたを世から選び出した。だから、世はあなたがたを憎むのである。

  • この場合の「世」は人の所属を示す。ヨハネ福音書には、神に属する、真理に属する、世に属するという言葉がある。属するという言葉は、人が何者かを示している。「世に属する」とは、神なしに生きようとする人を指す。この場合の神は偶像の神ではなく、聖書が証しする神、イエス・キリストの父なる神のことである。自分がどこに属するかは、生き方となって現れる。神に属する者として生きるのと、世に属する者の生き方は自ずと違ってくる。
  • 「世は言を認めなかった」(10節)とは、世に属している人たちは、言を認めなかった。命である言葉、人間を照らす光を信じなかった。「世は言によって成った」とある。人はその存在を言に負う。人は自分で生まれてきたのではなく、言によって存在を与えられている。しかし人は、自分で生まれてきたかのごとく、自分の好きなように生きようとしている。自分の好きなように生きる、自分のしたいことをして生きる、これが世に属する人の特徴である。この人たちは光を理解せず、光を受け入れることがなかった。
  • このことは暗黙の内に言がどうなったのかを語っている。つまり十字架の上で殺されることを暗示している。
  • しかし言を信じる者には神の子となる資格が与えられる。資格が与えられるとは言い換えると、神は言を信じる者を神の子として取り扱ってくださるということである。
  • ヨハネ福音書の1章において、「言」をイエス・キリストあるいはキリストと置き換えて読むことができる。
  • 自分の存在を言に負うているのに、自分は自分によって存在しているかのように振る舞う人間の罪も指摘されているように思う。神によって自分は存在している。神のおかげで自分は存在している。信仰者はそう理解し、神を信じて生きる。世に属する人は、自分は己の人生の主人公であると考え、自分のしたいように生きようとする。自分の思い通りに生きようとする。だれかが自分の生き方に指図するなら、余計なことはするなと言う。人間を照らす光、そんなものは必要ない、自分は自分の力で生きると考える。そして言を認めない。
  • 世に属する人たちが造る世界は、混乱と争いに満ちた世界である。皮肉なことに他者の目を気にし、自分を卑下する人たちも少なからずいる。
  • 6~8節は、挿入句のように思える。19節以下のヨハネの働きに備えて、神から遣わされた者としてヨハネを紹介している。ヨハネは光を証しする者として遣わされた。それは彼の証しによって人々が言、イエス・キリストを信じるためである。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)言である御子。御自分を信じる者に神の子となる資格を与える方
  • (御父)御子を信じる者を、神の子として新しく生まれさせる方
☆神が私たちに求める生き方
  • (模範)ヨハネは光を証しした。証しすることは私たちの模範。
  • (勧め)キリストを信じる者は、新しく生まれて神の子とされていることを信じること。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。洗礼者ヨハネは、イエス様を証しする者として歩みました。迫害を受けて亡くなりましたが、証しするという大切な務めを果たしました。私も光を証しする者として歩みます。悪魔がもたらす疑いを排除して、素直に光である主を信じて歩みます。この世に向かって多くの人に向かって証しをすることはできませんが、身の程にあった仕方で証しできたらと思います。
  • わたしにとって主イエスが光であることを文章に書き、ブログに書いてみたいと思います。
☆与えられた導き
  • 証しの文章を書く