ヨハネ福音書13章21~30節
2020年1月15日
(内容)
- イエスは、弟子たちの中に裏切る者が一人いることを伝える。ペトロはそれが誰かを知ろうとする。イエスはユダにパンを与え、「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と伝える。
(黙想)
- この場面でイエスは心を騒がせた。裏切る者がいることを宣告することに心を騒がせたのだろうか。イエスも緊張していたのだろうか。
- このような宣告をせずに、そして裏切る者がいることなど語らずにすますことはできた。ユダにこっそり裏切りの行為をさせておくこともできた。自分だけが知っていればよいと考えることもできた。しかしイエスは、裏切る者がいることを伝えた。
- これを聞いたユダは驚いたであろう。「今すぐ、しなさい」とのイエスの言葉を聞いてユダはどう思ったのか。自分が裏切ることをイエスは知っている!そして実行せよという!自分が裏切ることをイエスが知らないなら、裏切りやすい。しかしイエスは知っている。そして「しなさい」という。
- イエスは、なぜ、裏切る者がいることを宣告したのか。しかもイエスは、「今すぐしなさい」と実行を迫ったのである。ユダに裏切りを思いとどまらせようとしたのか、それともユダの裏切りは想定内で、イエスの主導の下、事態は進んでいくことを示そうとしたのか。
- イエスの言葉を聞いてユダは何を思ったのか。ユダは引き返すことはできた。しかしユダは引き返さず、進んだ。たといイエスが知っていたとしても、それはやめる理由にはならなかった。
- 13章2節で悪魔がイエスを裏切る考えをユダに与えたとあり、27節では、サタンがユダの中に入ったとある。人間の心には色々な思いが湧いてくる。悪魔から来る思い、神から来る思い、そして自分から来る思い。自分の思い、考えがどこから来ているかを吟味することは大切である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエスは人の心を知っている方である。我々が何を考え、何をしようとしているか知っている。
- <御子>イエスは「やめなさい」とは言わない方。むしろあなたの思いに従いなさいと言う方。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>自分の思いがどこから来たのかを吟味する必要がある。神から来ているのか、悪魔から来ているのか、自分の思いなのか。
- <勧め>自分の思いが神から来ていないなら、時には引き返すことも大切である。
- <罪>イエスを裏切ることは罪である。避けなければならない。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父、今日もデボーションを行うことができ感謝します。今日は自分の「思い」について考えさせられました。年齢を重ね、時に「生きることに疲れた」との思いを抱きます。「何かをすべき」との思いに疲れるのでしょうか。
- 牧師を引退し、時間に余裕が生まれました。私の中には福音を伝えたいとの思いはあり、ブログを利用し、福音の証人としての歩みを書いています。「したい」との思いと「しなければ」との思いが重なって疲れているのかもしれません。
- しばらく前『喜んで年をとりたい』を読んだとき、そこに「ありのままの自分」を喜ぶと書かれていたように記憶しています。それを読んだとき、これはもう少し年をとった人の思いかなと思いました。しかし、自分の思いに近いのかもしれません。そこでもう一度、『喜んで年をとりたい』を読んでみたいと思います。
☆与えられた導き
- 『喜んで年をとりたい』を読む。
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『喜んで年をとりたい』を読んでみて
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心に残った言葉
・生きているだけでよい。
・かって自分がやったことは、今は若い人の課題
・わたしはいるだけでいい。
・老木に、生き生きとしているか、成長しているか、しっかり立っているか、と問われる。
*喜ぶことが大事。
福音の証人として生きることを喜ぶこと。ブログに書くことを喜ぶこと。書きたいことをストックして、気持ちに余裕を持つことにしよう。今日は何を書こうかと慌てないこと。これは若い人の課題ではなく、年を取った僕の、福音に生き、生かされた記録。喜んで行えること。