ヨハネ福音書13章12~20節
2020年1月14日
(内容)
- 弟子たちの足を洗われた後、イエスは、先生であり、主である自分を模範として互いの足を洗い合うように弟子たちに命じた。さらに「わたしはある」ということを信じるように勧めた。
(黙想)
- イエスはご自分が主であることを語り、弟子たちに模範に従うように語った。そして「僕は主人にまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、その通りにするなら幸いである」と語られた。イエスの模範に倣うとは、ただ行為を見倣うことが大切なのではなく、自分とイエスの関係を受けとめることが大切なのである。行為に見倣うだけなら律法主義に陥るが、イエスとの関係を悟れば、おのずとしもべの行動ができるようになる。
- イエスを信じるとは、イエスが「わたしはある」というお方であると信じることだとエイスは教えられた。ヨハネ福音書で、イエスはたびたび「わたしは~である」と語られた。イエスがそのような方であると信じること、それが「わたしを信じること」なのだとイエスは言われた。
- 「わたしは命のパンである」(6:35,48)。
「わたしは世の光である」(8:12)。
「わたしは良い羊飼いである」(10:11,14)
「わたしは復活であり、命である」(11:25)
「わたしは道であり真理であり、命である」(14:8)。
「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」(15:5)。 - ヨハネ福音書では、イエスは私たちがこれらを信じることを願っている。私たちはイエスを信じる。このイエスは復活され、世の終わりまで私たちと共にいてくださる方である。そして具体的には、上に述べたような方なのである。
- 命のパンであるイエスと私はどう関わっているのか。世の光であるイエスと私はどう関わっているのか。良い羊飼いであるイエスと私はどう関わっているのか。これらに答えることがイエスを信じるということであり、イエスを漠然と信じることは不十分である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御子>私たちの師であり、主である方。
- <御子>「わたしは~である」と語り、ご自身がいかなる方であるかを示される方。
☆神が私たちに求める生き方
- <模範>主イエスに倣い、互いの足を洗うこと。互いにしもべとなって仕え合うこと
- <勧め>イエスを具体的に信じ、この方との関わりを持つこと。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日の聖書で印象に残ったことは「わたしはある」ということを信じることです。イエス様を信じるとは、イエス様がどのようなお方であるかを具体的に理解し、イエス様をそのような方として信じ、イエス様とかかわって生きることです。そのように受けとめます。イエス様は良い羊飼いであり、羊の先頭に立って歩き、羊を導かれます。良い羊飼いであるイエス様に私はついて行くことを願い、喜びとしています。イエス様がどちらに行かれるのか、必ずしも明確ではありません。だから聖書を読み、イエス様の行かれる方向を知ることに努めています。
- 年をとった者としては、「わたしは復活であり、命である」(11:25)との言葉に惹かれます。この言葉が真実であるなら、死を恐れる必要もなく、安心して世を去ることができます。
- 神さま、信じることには疑いがつきものです。だからこそ、私たちは信じるのですね。疑いに負けて不信仰に陥っては何のための信仰か分かりません。死を越えることについては、本当だろうかという疑問がつきものです。イエスの再臨、最後の審判、終末の到来は現代人には信じるのはむずかしい面があります。
- そこでわたしは何かが真理であると信じることのできる根拠は何かを考え、聖書が語ることこそ真理であると考えました。終末などありそうもないと感じる実感が真理の根拠なのか、聖書が語ることが真理なのか。聖書の言葉を真理としたとき、私は死の恐れから解放されました。
- 「わたしは復活であり、命である」とのイエス様の言葉をどう受けとめたらいいのかと考えます。もし目の前にイエス様が現れ「わたしは復活であり、命である」と語られたとしたら、私はどうするのでしょうか。さらに「このことを信じるか」(11:26)と言われたらどうするのでしょうか。
- わたしは「信じます」と答えます。でもそれは、きっぱりと信じ切れているから答えるのではありません。親鸞は「たとい法然聖人にだまされ、すかされて、念仏したおかげで地獄に落ちたとしても、後悔するつもりはあらへんのや」と語ったそうです。私もこんな心境で、「主よ、信じます」と答えたいと思っています。主イエスに絶大な信頼をおきたいと思います。これは盲信ではなく、信仰的な決断ですね。この決断を持って残りの人生、平安を得て生きていきます。
- 天の父なる神さま、この私の思いを歌にしたいと思いました。信頼と感謝の思いを歌えるように導いてください。
☆与えられた導き
- 信仰の思いを歌にする。
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われ羊 羊飼いなる イエスには
地獄の果てまで 従う覚悟
祈祷室 我は復活 命なり
イエスの言葉 刻まれひびく
御言葉が 真理と知りて わが心
満ちる平安 あふれる涙
われはある 語るイエスは 御自分が
何ものなのか 明らかにする