ルカ福音書 4章31~37節

2018年4月5日

(内容)

  • 主イエスの教えには権威があり、人々は主イエスの教えに驚きました。悪霊は、主イエスの正体を見抜いて、「神の聖者だ」と言いました。主イエスが悪霊に取り憑かれた人から出て行くように命じると悪霊は出て行き、人々は主イエスの語る言葉の権威と力に驚きました。

(黙想)

  • 主イエスの教えには権威がありました。これは語る主イエスを目の前にして聞いている人が、主の教えに権威を感じました。主イエスの語った教えを文字にして紙に書いたもの、つまり聖書を読んでも権威を感じるとは限りません。説教を聞くのと説教集で説教を読むのとは違うものがあります。主イエスが教えるのを直接聞いた人々は権威を感じました。
  • 礼拝で説教する者としては、自分の語る説教に権威を感じてもらえることを目指します。説教はある一定の作業によってなされます。福音は理論、理屈ではなく、説教者の証しとしての聖書の説き明かしであるので信仰者として自分がどのように生きているのかは、説教と無関係ではありません。権威ある教えとして受けとめてもらえる説教をするための第一歩は、祈りです。
  • 主イエスの教えに権威を感じた人々は主イエスを信じたのかと言えば、そうとも言えません。主イエスが行う癒やしとか悪霊追放の出来事を見ても人々は主イエスを信じたとは限りません。信じるには聞き手の側の受けとめ方、姿勢が問われます。
  • 牧師を引退して礼拝で説教を聞く立場になりました。説教を聞く自分と説教を批評する自分がいます。大切なことは、福音を聞き、受けとめ、聞いたことに従う謙遜な姿勢です。神の言葉が畑に蒔かれても、どんな場所かによって結果が違ってきます。果たして自分は多くの実を結ぶ畑なのか、自己吟味する必要もあります。
  • そして忘れてはならないことは、説教者もまた聞き手であること、聖書から何を聞いて説教をするのか。説教者は聞いたことを語ります。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)32節。主イエスの教えには権威がありました。その権威に人々は驚きました。
  • (御子)36節。主イエスの言葉には力があり、悪霊を取り憑いた人から追い出す力がありました。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父、主イエスの教えを聞いた人々は、権威を感じたとあります。私も説教する者として、自分の語る言葉が神の言葉として受けとめられ、権威ある言葉として受けとめられ、会衆がまさに自分は神の言葉を聞いたとの思いを持つようになることを願います。
  • 牧師として毎週説教している時、他の人の説教を聞く機会はありました。勉強のために機会があれば聞きました。権威を感じた説教もいくつかあります。なぜ私が権威を感じたのか思い起こしますと、真理が語られていると感じたからだと思います。真理が伝わったと言うべきかも知れません。説教者の証しとして真理が伝わってきたと感じました。
  • 今度の日曜日、説教奉仕の務めが与えられています。何を真理として語るのかを明確にし、そして権威ある響きを持つ説教ができるように祈ります。

☆与えられた導き

  • 今度の日曜の説教のために祈る。