列王記下 8章7~15節
2017年9月5日
(内容)
アラムの王ベン・ハダトは病気でした。神の人エリシャがダマスコにいると知り、家来のハザエルに彼のもとに遣わし、病気が治るかどうか、主の御旨を尋ねさせました。エリシャはハザエルに「王の病気は治るが、王は死ぬ」ことを伝えました。さらにハザエルがアラムの王になることも伝えました。ハザエルは王に「病気は治ります」と伝え、王を殺し、自分が王となりました。
(黙想)
- 人は病気になれば、治るかどうか不安になります。治るかどうか知りたくなるのはよく分かります。アラムの王ハダトは占いをするような感覚で主の御旨を尋ねさせました。それは部下のハザエルに反逆を起こすきっかけを与えました。病いの王を見て、王が死んだら、自分が王になるという野心をハザエルが持っていたかどうかは分かりません。神の人エリシャが主の御旨として「あなたは王になる」と告げたので、ハダト王を殺して自分が王になろうとしたのは当然ということができます。
- 神さまは言われるのではないでしょうか。どうして病気の時だけ、私の思いを尋ねるのか、と。さらに、なぜ主の御旨を常日頃から尋ねて、主の御旨に従う歩みをしないのか、と。あたかも占い師のような扱いを神はされて、神さまは怒りを感じたかもしれません。ハダト王は年を取っており、死は遠くなかったと思われます。王の死期は早まったのです。それで病気は治るが死ぬと言われたのかも知れません。神さまは、ハザエルに王となるきっかけを与えました。
- それにしてもエリシャは主の心をよく知っています。エリシャはある意味、超能力者のようです。ダビデもまたペリシテ人との戦いにおいて、主の御旨を尋ね、主の導きに従って戦い勝利をおさめたことがあります。そして今私は、デボーションを通して神のみ心・導きを与えられると信じています。主の御旨を求めることは真剣な行為です。占いをするかのように主の御旨を求めることはできません。神を占い師であるかのように取り扱ってはなりません。
- 私の今後の生涯について神さまの御旨はどうなのでしょうか。今それを知ったらどうなるのでしょうか。重要なことは、日々、神さまの御旨を尋ね求めて生きることではないか、と考えます。神さまに導かれたその跡を残すことができれば、神さまがどのように導かれたのか分かります。それで十分です。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- 神は王を立て、王を退けることのできるお方です。
☆神が求める私たちの生き方
- (警告)神を占い師でもあるかのように取り扱うことはできません。
- (教え)主の御旨は真剣に求めるべきです。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、あなたの御旨を尋ね求めることは大切です。しかし主の御旨に生きる者でなければ、それはあなたをを占い師にすることであり、あなたを侮る行為です。ハダド王は自分の死期を早めたかもしれません。ハザエルの裏切りにより死んでしまいました。
- 私は自分の残りの生涯がどうなるのか、知りたい思いはあります。でも知ったからといってどうなるのでしょうか。神さまが示された人生をあらかじめ知り、それを追いかけるのは、しんどいように思います。大事なことは、日々御旨を尋ねて歩むことですね。デボーションを行い続けることですね。そうすれば、私の生涯に対する主の御旨が何であったのか分かります。私の残りの生涯についての主の御旨は、デボーションの結果を見れば分かります。
- 日々のデボーションの内容を印刷してファイルにとじれば、それを読む人は、私に対する神さまの導きを知ることができます。少なくとも私が読み返せば、あなたの導きを辿ることができます。そして感謝を賛美をささげることができると信じます。
☆与えられた導き
- 何日かかけて、引退後奈良に来てからのデボーションをすべて印刷し、ファイルに閉じる。