ガラテヤの信徒への手紙 2章15~21節
2017年7月17日
(内容)
キリストを信じることについてのパウロの理解が示されています。
- 人はイエス・キリストへの信仰によって義とされること
- 人は律法の実行によっては義とされないこと
- 信仰者は、神に対して生きるために、律法に対して死んだこと
- 信仰者は、キリストと共に十字架につけられたこと
- 信仰者の告白。「生きているのはもはやわたしではなく、キリストがわたしのうちに生きている。わたしは神の子に対する信仰によって生きている」。
(黙想1)
- 神がパウロに御子を示されて、パウロの信仰は変わりました(1:18)。以前のパウロは律法の実践に熱心に取り組み、だれにも劣らぬ程熱心に取り組み、自分は義とされていることを信じて疑わない人でした。しかし、人はイエス・キリストへの信仰によって義とされることを知らされ、イエス・キリストを信じました。
- パウロに何が起きたのかは、正確に知ることはできません。コリント二5章でキリストに結ばれた者は誰でも新しく造られた者であり、神はキリストによって世をご自分と和解させ、パウロは和解の使者とされたことが書かれています。
- パウロは御子を示されたとき、自分が罪人であること、キリストの十字架が人と神との和解をもたらし、キリストへの信仰によって人は義とされること、そして人は新しく造られた人となること、信仰とはキリストとの交わりに生きることを知ったと思います。
- ユダヤ教徒の時は、信仰とは律法を守ることでしたが、今や信仰とはキリストとの交わりに生きることであり、この交わりに生きるとき、キリストがわたしのうちに生きていることの告白が導き出されることをパウロは語ります。キリストとの交わりに生きるとき、私たちはキリストの心を大切にし、キリストの心に生きようとするので、キリストがわたしのうちに生きているとの表現をパウロはしています。
- 私たちは律法に対して死んだので、律法を守らなければならない、神の教えを守らなければならないという義務から解放されています。誤解を恐れず言えば、神の教えを守らなくていいのです。もし守らなければならない、と考えるなら、その義務から解放されていることを知る必要があります。律法から解放は私たちに自由をもたらします。
- では神の教えを守らなくていいのか、と言われれば、神の教えは守るべきです。問題はなぜ守るのか、その動機です。守らなければならないから守るのではなく、キリストとの交わりに生きるので、キリストの心を大切にするので、キリストの教えを守るのです。キリストへの愛のゆえに守るのです。神を愛するので神の教えを喜んで、自ら進んで守るのです。
- そして罪とは、その根本は、神との交わりに生きようとせず、自分の思いに生きようとすることです。そこから神の教えに反する様々な行為が生まれてきて、私たちは罪を犯します。
- 私たちはキリストを信じ、新しく生まれ、神との交わりに生きる者へと造り変えられました。パウロはイエス・キリストによる救いの恵みを以上のように、パウロ書簡の中で語っています。
(黙想2)
- 先日知人から葉書をいただきました。そこには「いつまでも罪深い者です」と書かれていました。その方は長い信仰生活を送っておられる方です。この方の心に、パウロの福音がどれほど刻まれているのかと考えます。いや、この方だけではありません。この方と同じ思いの信仰者が沢山いるのです。礼拝で説教者は福音を語っているにもかかわらずです。結果的に福音が届いていないということになるのかも知れません。時の流れと共に教会に集う人は変わっていきますから、福音は常に語り続けなければなりません。現役で牧師として教会員を訓練し、説教で福音を語る者として、信仰者をして「いつまでも罪深い者です」言わせる大きな壁を意識してきました。この壁を少しでも崩そうと語ってきました。この壁を崩す、それは福音宣教者の課題なのだと思います。
- なぜ、この壁が崩せないのか、その理由はある程度分かっているつもりです。それは私たちの信仰が神との交わり、キリストとの交わりに生きることになっていないからです。交わりに生きるとは愛に生きることを意味します。
- 以前遣わされた教会では、長老が礼拝の司式をしました。長老たちの祈りが変化していくのをわたしは喜びました。福音に生かされていることが祈りに現れていたからです。福音が説かれ、福音に生きるように導きが適切になされれば、信仰者も教会も変わるのです。
- あらためて「あなたはここで何をしているのか」(列王記上19:9,13)を聞く思いがします。隠退したからと言って、福音宣教の業から解放されたわけではありません。ただ公に働く場所はありません。
- 詩編71:18の言葉が心に留まります。「わたしが老いて白髪になっても/神よ、どうか捨て去らないでください。御腕の業を、力強い御業を/来るべき世代に語り伝えさせてください」。
(実践)
- キリストを信じ、新しく創造された者となることについて、説明する文書を「信仰の要点」として新しく開設するサイトに書くだけでなく、その文章を実際に書いてみる。