ヘブライ人への手紙 1章1~4節

2017年12月1日

(内容)

神は、預言者を通して、また御子によって語られたことと、御子がいかなる方かが述べられる。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御父)父なる神は人間に語りかける方である。かつては預言者を通して、そして御子によって語られた。神は人を介して語られる方である。
  • (御子)御子イエス・キリストは、<1>万物の相続者、<2>神は御子を通して世界を創造された、<3>御子は神の栄光の繁栄、神の本質の現れ、<4>人々を清めたのに天の父なる神の右に座しておられる、<5>万物をご自身の力ある言葉で支えておられる、<6>天使よりもすぐれた方

(黙想)

  • 神は私たち人間に語りかけるお方である。神の語りかけを聞いた人は、それに応答することによって神との交わりに生きることになり、信仰の歩みをすることになる。神の語りかけを聞かなかったことにすることもできるし、無視することもできる。旧約には、神の語りかけを真剣に受けとめない人もいた。
  • 今日でも神は語られると私たちは信じている。そう信じて礼拝の説教を聞き、また聖書を読む。神は説教者を通して、また聖書を通して語られると私たちは信じる。説教する者にとって、自分の説教を通して神が語られるとは、畏れ多いことである。自分が神の言葉を語るなどできるはずがない。しかし神が語られるための器として召されたことを信じ、祈りと共に誠心誠意尽くして説教の準備をするほかない。
  • 説教者は聖書の説き明かしするが、神の語りかけの第一の聴き手であり、自分が聞いたことを礼拝説教で語ることになる。神の語りかけは応答を求める。応答しなければ、聞きっぱなし、つまりは聞かなかったのも同然となる。聴き手においては、聞く前と聞いた後では、変化があるはず。その変化は応答となる。その応答から出る言葉は、神の言葉を証しする言葉として神の言葉になるのではないか。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神、あなたは私たちに語りかける神です。説教者は、第一の聴き手です。聖書から何を聞くのか、祈りを持って聖書を読みます。あなたの語りかけを聞いた時、自分の心はそれをどう受けとめたのか、そしてどう応答しようと思ったのか、心の反応が大切ですね。12月10日説教奉仕が与えられています。その準備を今しています。聖書テキストを通して自分は何を聞いたのか、それは自分にどう働きかけ、自分はどう応答することになるのか、そこを明らかにして、語るべき言葉を探りたいと思います。
  • 先ず聖書が告げることを聴き取り、それを神の語りかけとして聞く時、自分はどう反応するのか、どう応答するのか、思いめぐらした上で説教の準備をしたいと思います。聖霊なる神さま、私の説教準備を導いてください。
☆与えられた導き
  • 聖書から神の語りかけを聞き、自分の心がどう受けとめ、どう応答しようとするのかを見定めて説教準備をする。