列王記上 15章

2017年5月18日

(内容)

  • ユダの王アビヤム(治世3年)・アサ(治世41年)、イスラエルの王ナダブ(治世2年)・バシャ(治世24年)のことが語られる。ユダの王アビヤムとアサは母を同じくする兄弟である。恐らくアビヤムが早死にしたのでアサが王となったと思われる。兄アビヤムは父祖ダビデのように自分の神、主と一つではなかった。しかしアサは生涯を通じて主と一つであった。
  • イスラエルの王ナダブは謀反を起こされて死んだ。謀反を起こしたバシャはイスラエルの王となり、ヤロブアムの一族を皆殺しにした。仕返しをされないためと思われるが、ヤロブアムに対する神の裁きが実現したことにもなる。イスラエルの王は、ヤロブアムの道に従い罪を犯した。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • 神は、ご自分と心をひとつにする者を喜ばれる方である。
  • 神は、御旨のままに王を立てられるし、王を退けることができる。
  • 神は、そのみ心に従わない王をすぐに退けるとは限らない。
☆神が求める私たちの生き方
  • 神さまと心をひとつにするアサ王は、私たちの模範である。
  • 神と心をひとつにしないなら、偶像礼拝をしていることになる。自分用の神を造ることになる。

(黙想)

  • 神と心をひとつにする、それが信仰であると教えられる。神と心が一つでないとき、悪しき歩みが始まる。偶像礼拝が始まる。偶像礼拝とは、神の呼びかけに聞かず、自分の思い通りの礼拝を行うことである。ヤロブアムは自分勝手に金の子牛像を造り、神殿を建て、祭司を立て、礼拝を行った。
  • 果たして我々は、神と心をひとつにしているだろうか。日曜毎に礼拝を守っていたとして、神の語りかけを聞き、それに応答しているだろうか。もし神を礼拝しているつもりでも、神の呼びかけに応答しないなら、それは自分が造った神を礼拝していることになるのではないか。聖書の神は、私たちに語りかけ、応答を求める神である。
  • 主と心をひとつにするとはどういうことであろうか。神が語ったことを心に留めることなしに一つにはなれない。ヤロブアム王は、彼を王に立てた神の言葉を心に留めず、自分のよしとするところに従って生きた。それはヤロブアムの道と呼ばれる。神はヤロブアムに「わたしの道を歩み、私の目に適う正しいことを行い、わが僕(しもべ)ダビデと同じように掟と戒めを守るなら、わたしはあなたと共におり、ダビデのために家を建てたように、あなたのためにも堅固な家を建て、イスラエルをあなたのものとする」と語られた。ヤロブアムそしてその子ナダブはこの神の言葉を受けとめなかった。
  • 私たちは、一人一人が聖書を持ち、聖書を読める時代に生きている。一人一人が聖書を読み、神の御心を知り、神と一つになることができるようにされている。また礼拝で説教を聞き、神のみ心を聞き、神と一つになることができるようにされている。神と一つになることが信仰に生きることであり、その努力は大切である。
  • 列王記では、王は神に対する態度で評価されている。神と向き合わない王は、ヤロブアムの道、つまり自分の心と思いのままに歩む道を辿っている。政治、経済の面での功績はあるかも知れないが、それらは評価されていない。神と心を一つにしない王は、結局権力の魔力に囚われ、高慢な王になっていく。
  • 今の日本の国の首相も支持率の高さを根拠に、自分は何でもできるかの如くに振る舞っている。高慢な姿勢、言葉に対する誠実さの欠如は、政治家としての資質が欠けていることを示している。だからといって神は彼を首相の座から退けられるとは限らない。ヤロブアム王は22年の長きにわたって王であった。

(実践)

  • 神と心をひとつにして生きる、それが信仰である。5月28日説教の奉仕をする予定で今準備をしている。「神と心をひとつにする」ことを大切なキーワードとして説教をする。
  • 安倍首相の退陣をやはり祈る。言葉に対して誠実な政治家、神のみ心に適うような政治家の出現を祈る。

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