マタイ福音書1章18~25節 預言の実現

2023年4月17日

(内容)

  • イエス・キリストの誕生の次第が語られる。マリアの妊娠に戸惑ったヨセフに対して天使は、生まれてくる子どもは自分の民を罪から救う者であると告げる。

(黙想)

  • イエス・キリストの誕生の次第とある。イエスはキリストであるとの信仰が言い表されている。
  • マリアが聖霊によって身ごもった次第については、ルカ福音書が詳しく語っている。マタイは何も語らない。
  • マリアが自分の妊娠についてヨセフにどれほど語ったのかは不明。マリアが話したにしろ、妊娠したことが外見で分かったにしろ、ヨセフは戸惑う。ヨセフは縁を切ろうとする。縁を切らなければ、マリアはヨセフと婚約中に他の男性と関係を持って身ごもったとされる。姦淫の罪を犯すことになるので、ヨセフは離縁し、マリアが姦淫を犯したわけではないと、マリアを守ろうとしたのか。でも未婚のマリアが妊娠している事実は、周囲の人には明らかとなる。
  • ヨセフはマリアと縁を切ろうとしたが、主の天使が夢の中でヨセフに、マリアは聖霊によって身ごもったことを告げ、マリアを妻として迎えるように語る。ヨセフは天使の言葉に従う。
  • 天使は生まれてくる子について、自分の民を罪から救うものとなるので、イエスと名付けるように語る。イエスの誕生は、預言者の語った言葉の成就だと著者マタイは語る。

イザヤ 7:14
それゆえ、わたしの主が御自ら/あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み/その名をインマヌエルと呼ぶ。

  • インマヌエルとは神我らと共にいますとの意味。インマヌエルと我々が告白できるとしたらその根拠は何か。イエスによる十字架の贖いの死が根拠だろう。パウロによれば、贖いの死を信じる者は義とされ、神との間に平和を得る。これが、インマヌエルと告白できる根拠だ。
  • この箇所を読んで心に留まることは、一つはヨセフが天使の言葉を信じて従ったことである。自分の婚約者が聖霊によってみごもったとは、簡単に受け入れることができることではない。むしろありえないことである。しかしヨセフは信じた。
  • 今ひとつは、預言の成就ということである。イエスがメシアとして生まれることは預言の成就だという。そこには神の計画のあることが分かる。神はその計画の中で、メシアを誕生させるのであり、それがまさに実現しつつあるというのである。
  • メシアの誕生については旧約に預言され、実現した。メシアの再臨については新約で預言され、終末の到来の時に実現することになる。我々も預言の実現を待ち望む者である。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • <御父>神が預言者を通して語られたことは実現する。
  • <御父>戸惑うヨセフに対して、語りかける方。神の御心に戸惑うヨセフに語りかけ、み心に従うように導く方。
☆神が私たちに求める生き方
  • <模範>ヨセフのように天使のお告げ、神のみ心に従うこと。
  • <教え>預言は実現する。私たちにとっての預言は、終末の到来、キリストの再臨である。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、今日も聖書を思いめぐらすことができ感謝します。ヨセフのことを思います。自分が戸惑いを受けるような状態の中にあっても、御心が示されたなら、それに従うべきことを教えられます。
  • デボーションをしながら、ささやかな導きをいただく時、それに従っていきます。適用を大切にしていきます。
  • また私たちにとっても預言が与えられていることを思います。キリストの再臨、終末の到来です。自分が生きている間のこの預言の実現を見ることはないと思います。旧約におけるメシアに関する預言が実現したように、メシアの再臨の預言の実現を私たちキリスト者は信じることが大切ですね。この世の生涯は終わりの日が来ますが、キリストの再臨、死者の復活、最後の審判、御国に迎えられるとの希望を抱いて老いを歩みます。
  • 今日は讃美歌284番を賛美したいと思いました。老いを生きる者を励ます讃美歌です。歌詞をスマホに入れて、いつでもどこでも、賛美できるようにしたいと思いました。感謝します。
☆与えられた導き
  • 讃美歌284で賛美する。