マルコ 11:15~19 祈りの家
2022年9月13日
(内容)
- イエスは神殿に入り、そこで売り買いしていた人たちを追い出し、両替人の台や、鳩を売る者の腰掛けをひっくり返し、あなたたちは神殿を強盗の巣にしてしまったと教えられた。
(黙想)
- イエスは前日にエルサレムに到着し、神殿の境内に入り、様子を見られた。そこで驚くべき現実、悲しむべき現実を見られた。次の日神殿の境内に入られ、そこで商売をしている人たちを追い出し始めた。
- 過越祭で多くの人々がエルサレム神殿に詣でる。彼らは神殿の境内でいけにえを買い、祭司を通して、神に献げる。遠くから神殿に来る人はいけにえを持参するわけにはいかず、境内で購入することになる。一種の礼拝システムができている。そのようなことが行われている様は、イエスの目には強盗の巣のように見えた。それでイエスは怒り、荒っぽい行動に出た。
- イエスの行為は、礼拝システムを支えている祭司長や律法学者たちには受け入れられるものではなく、彼らは秩序を乱すイエスをどのようにして殺そうかと謀った。しかしイエスがその場で教えたことは、その場にいた多くの群衆に共感を与えた。
- 祈りの家であるべき神殿が強盗の巣になっていたと感じたイエスは、荒々しい態度に出た。イエスの怒り、憤りを見る思いがする。罪に対する神の怒りを見る思いがする。神殿の礼拝システムは一見、敬虔な装いをまとっているが、利益を生み出す場になっていた。真実な神礼拝が行われる場ではなくなっていた。
- 人間の罪は、神殿での礼拝の場へも及んでいたことになる。人間の罪はどんな場にも現れる可能性がある。
- イエスは神殿を「わたしの家」と呼んだ。神殿は神の家である。イエスはご自身を神と語っていることになる。これも祭司長や律法学者からすれば、神を冒とくするものに見えるかも知れない。
- イエスが荒々しい行動に出たことが印象に残る。それは、やむにやまれぬ行為だった。この行為は、イエスの十字架の死を招くことにつながったと思われる。イエスは真っ直ぐに十字架に向かって歩まれる。イエスはご自分がなすべき、と思われることを行っている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御子>祈りの家が強盗の巣になっているのを見て、商売ができないように荒々しい行動に出られた。ご自分がなすべき行動と思われ、実行した。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>信仰者の行う儀式が神の怒りを招くものとなることがある。自己吟味が必要となる。
- <模範>イエスは信仰の観点から見て、間違っているものに怒りを表した。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、聖書を読んで、主イエスの行動が印象に残ります。おだやかに振る舞う方が荒々しい行動に出ました。表面的には神殿の秩序を乱す行為でした。しかしそこで行われていることは祈りの家を強盗の巣にするようなものったので、怒りを表されました。
- 天の父よ、あなたは真理の働きを妨げるあらゆる不敬虔と不義に対して、天から怒りを現される方です。私たちの世界では、さまざまな不義が行われています。それは歴史上、どの時代もそうでした。だから教会は、福音を伝える使命を与えられています。現代は人間の理性が支配的な時代で、信仰は重んじられない時代です。しかし信仰者はいなくなることはなく、教会はあなたへの礼拝を続けています。
- 教会はいつも祈りの家であるべきですね。教会は福音を宣べ伝える使命に生きるべきですね。福音が余すところなく宣べ伝えられるように、教会の伝道の働きが積極的に行われるように、今日も祈ります。
☆与えられた導き
- 今日も教会の働きのために祈る。