ヨハネ福音書 1章1~5節(1) 人間を照らす光
2021年12月8日
(内容)
- 言によって万物が成った。言の内に命があり、命は人間を照らす光であった。
(黙想)
- 私たち人間は命を与えられ、この世に誕生する。私たちは命を持っている。それは生物としての命である。そして私たちはこの命を生きている。命には限りがあり、私たちはいつの日か生涯を終える。私たちにとって命とは、それが与えられているので生きることができるということであり、命が奪われるとき、私たちは死ぬのである。私たちは命を与えられているに過ぎない。もちろん与えられていることは感謝すべきことである。
- 言の内に命があった。この命は人を生かす命である。人は言によって生かされ、言によって生きるものとなる。命は人間を照らす光であるとは、人は言によって生かされることを語っている。
- 物理的に生きるだけなら、言がなくても人は生きることができる。しかし言がなければ人は、神によって造られた者としてふさわしく生きることはできない。それが光に照らされるということに意味。光に照らされなければ人は闇の中にいることになる。もちろん人間だから理性、感情、意志をもって生きる。
- 光は暗闇の中に輝いているが暗闇は光を理解しなかった。光に照らされなければ人は暗闇の中に生きることになる。生まれながらの人間はみな暗闇の中に生きている。しかし暗闇の中に生きる人間は、そのことに気づいていないし、光なしに生きていけると考え生きている。神なしに生きていけると信じ生きている。しかも立派に生きているとさえ思う。
- 人の世はさまざまな悪に満ちている。それは人が欲によって生きているからである。人間の最大の欲望はプライドである。自分のプライドを満足させるために人は生き、プライドはどこまでも肥大する。人間の欲も満足することを知らずに大きくなっていく。人は自分の幸せを追求し他人を利用する。
- 人の目は曇らされていて、福音の光が見えない。暗闇の中にいることが分からない。光なしに、神なしに生きていくことができると信じており、闇の中を生きているが、そのことに気づいていない。気づかせることが必要。それが伝道。そのために光に生かされている者たちが証しをし、言によって生きることを伝えていくことが信仰者の使命となる。しかし使命などと大上段に構える必要はなく、言によって喜んで生きればよいと思う。喜ぶ姿は必ず他者に影響を与える。自ずと伝えることになる。
- この光についてマタイはこう書く。
マタイ 4:16
暗闇に住む民は大きな光を見、/死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」
- 僕の人生にも、この光が射し込み照らし始めた。その光は、ますます確かな光として僕の人生を照らしてくれている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>命であり、私たちを照らす光
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>この光に照らされて生きること
- <勧め>この光について証しすること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神、あらためて私は暗闇の中にいましたが救われ、イエス・キリストによって光の中に導かれたことを思い、感謝します。不安や恐れ、思い煩い、否定的な思いから解放され、本当に嬉しく感謝です。
- 今日は、孫たちにクリスマスカードを送り、イエス様が光であることを簡単に証ししたいと思いました。孫たちも教会に行っているので、彼らの信仰の前進に役立てばと思いました。どんな文章を書くのか、導いてください。
☆与えられた導き
- クリスマスカードを書く