第二コリント 8章8~15節 慈善のわざ
2021年10月21日
(内容)
- パウロはエルサレム教会への献金を慈善のわざとして勧める。キリスト者は、キリストによって救われた恵みへの感謝として支援の献金ができること、そしてこの支援はお互い様であることをパウロは書いている。
(黙想)
- パウロは7節で慈善のわざにおいても豊かになりなさいと勧めた。8節でパウロはこれは命令ではないと書く。コリント教会の人たちの自主性をパウロは重んじる。自主性を重んじるが、9節でキリストの恵みを思い起こさせている。キリストの恵みを思い起こさせている。自主性を重んじているが慈善をするように促している。
- 8節の「あなたがたの愛の純粋さを確かめる」という表現。この確かめるという言い方は、試されるようでいやな印象を与える。パウロらしい率直な言い方なのかも知れない。慈善を勧めるとき、どんな言い方をしたら慈善をしてもらえるのかと考えるとき、相手の善意に期待するだけの言い方だったら、つまり無難な言い方だったら、慈善をしてもらえないかも知れない。なかなかむずかしい。
- 10節では「わたしの意見を述べる」と書く。支援の志を抱いたのだからやり遂げること、持てるもの以上の支援をしなくてよいこと、そして支援はお互い様であることを告げる。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>豊かであったのに貧しくなられ、貧しかった私たちを豊かにした。これは経済的なことを言うのではなく、救いを語っている。
☆神が私たちに求める生き方
- <勧め>救いに感謝し、他者のために慈善をすることは隣人愛に生きることである。
- <勧め>慈善は相互援助という観点からすることもある。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。パウロは慈善を勧めています。この箇所を先日読んだとき、寄付をすることを適用としましたので、今回は聖書を読み、思いめぐらすことをできたことを感謝するにとどめます。