マルコ福音書 1章16~20節 主イエスに従う

2021年6月10日

(内容)

  • イエスは漁師たちをご覧になり、「ついてきなさい」を呼びかけた。すると漁師たちは網や舟をそこに置いたままイエスに従った。

(黙想)

  • イエスが漁師たちに声をかけると漁師たちは網や舟をそこに置いたままイエスに従ったというのは不思議な物語である。見知らぬ人から声をかけられたからといってその人に従っていくというのは通常あり得ない。
  • 福音書は小説ではない。読者が抱く疑問に答えようとはしない。ここで語られている事柄の本質は何か。それはイエスは呼びかける方であること。信仰とは、その呼びかけに答えること。呼びかけに答えることは、それまで慣れ親しんできた生活にある意味別れを告げることが示唆されている。それまでの生活の延長線上に呼びかけに応答する生活があるわけではない。呼びかけに答えるとき、そこには何か区切りがあることを教えている。
  • 区切りがある、それは生活に変化が生じることを意味する。大きな変化もあれば小さな変化の場合もある。漁師たちはそれまでの仕事を離れてイエスに従った。ある意味大きな変化である。彼らの家族は驚いたことであろう。
  • イエスは「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と呼びかけた。人間をとる漁師になるように招いたのである。あるいは人間をとる漁師になるよう召したのである。漁師たちはその召しに、招きに答えた。信仰とは、招き、召しに応答することである。
  • イエスが呼びかけたのは漁師である。言い換えると普通のどこにでもいる人間である。何か特別な才能や能力を持った人でもなく、宗教的な専門家でもなく、どこにでもいる人、普通の生活を送っている人である。言い換えるとイエスはすべての人に呼びかける方である。
  • 漁師たちは人間をとる漁師になるように呼びかけられた。それは働きへの召しである。そして彼らはイエスに従っていく。それは弟子への召しである。イエスはすべての人に「わたしについてきなさい」と呼びかける方である。どんな働きをするのか、それは人により様々と言えるのではないか。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か
  • (御子)イエスは「わたしについてきなさい」と呼びかける方である。
☆神が私たちに求める生き方
  • (勧め)イエスの呼びかけを聞いたら、イエスについて行くこと

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエス様は漁師たちに呼びかけ「人間をとる漁師にしよう、わたしについてきなさい」と言われました。イエスは私たち一人一人に「わたしについてきなさいと呼びかける方です」。主イエスは今わたしに何と言われるのかと思います。漁師たちは「人間をとる漁師にしよう」と言われました。私は牧師となるように召しを受けました。人間をとる漁師です。今は教会に仕える務めからは退きました。でも別な形でこの務めを果たしたいと思っています。
  • 今日あらためて思うことは、信仰者は誰もが証し人として生きるように召されていることです。私は老いましたから、老人として希望を持って生きる証しをしたいと思わされます。ブログに聖句をもとに自分の希望を書いていますが、今日は自分の希望となる三つの聖句を確認したいと思います。
☆与えられた導き
  • 老人の希望となる聖句を3つ選び出す。

~~~~~
ルカ2:29~30
「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり/この僕を安らかに去らせてくださいます。わたしはこの目であなたの救いを見たからです。

ルカ23:43
するとイエスは、「はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。

テモテ二 4:6~8
世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。
~~~~~