第一コリント 16章13~24節 模範に倣う
2021年5月14日
(内容)
- 手紙の結びの言葉として、目を覚まし、信仰に立ち、雄々しく強く生きなさい、何事も愛をもって行いなさいと勧める。
(黙想)
- コリント教会の抱えている問題を考えると、パウロの強い願いを感じる。しかし問題の中にあるコリント教会の人たちが悔い改めて「信仰に立ち、雄々しく強く生きなさい、何事も愛をもって行いなさい」との勧めがすぐに実行できるのかと疑問に思う。だからパウロは、16節で「この人たちや、彼らと一緒に働き、労苦してきたすべての人々に従ってください」と勧めているのではないか。教えを実践するよりも、教えに生きている人に倣う方が分かりやすいというか、実行しやすい。信仰生活において、信仰の成長を目指す時、模範となる人たちに見倣うということは大切であることを教えられる。
- 11章の1節では「わたしがキリストにならう者であるように、あなたがたもこのわたしに倣う者となりなさい」と勧めている。
- 私たちの中に他者を模範とするという意識はあるのだろうか。模範とするということは、あまり語られない。そして模範にするような人が周りにいないとなると、他者を模範とする意識は生まれない。僕自身はある意味、何人かの人と出会い、教えに生きている人の教えを学び生きてきた。その意味では、自分が良い模範になることが課題となる。
- 「主を愛さない者は、神に見捨てられるがいい」。これは強い言葉である。しかも手紙の終わりでこの言葉。読む者にはショックを与える言葉となる。コリント教会の人たちが主を愛する者たちだったら、この手紙でパウロが対処したような問題は起こしていない。主を愛さず、自分を愛しているから、教会の中に様々な問題が起きてきた。パウロのこの言葉はきつい。それだけ真剣に生きることを求める言葉と言える。
- でも主を愛さない者は、主を見捨てているのである。だから主から見捨てられることは何とも思わない者たちでもある。きつい言葉だけにコリント教会の人たちに自分のあり様を考えるきっかけになるかも知れない。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>主を愛すること
- <教え>目を覚ますこと
- <教え>信仰に立つこと
- <教え>雄々しく生きること
- <教え>何事も愛をもって行うこと
- <教え>他者を模範とし、他者の模範となること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、短い聖書箇所ですが、色々な教えがありました。老いの中にある者ですが「雄々しく生きる」との言葉が心に響きました。そうなっていない自分の心があります。これはあなたに打ち明けなければならないと思います。あなたに解決を求めたい思いです。
- 模範ですが、私は色んな人との出会いによって今日の自分に導かれたことを思います。私は自分が経験したことは伝えたいとの思いがあります。私はブログに色んな思いを書いており、これを伝えたいとの思いがあります。書いたブログを定期的に本にまとめていて、親しい者に配っています。これがいつの日か、一種の模範として役に立つように祈りたいと思いました。
☆適用
- 雄々しく祈ることをめぐっての祈り
- ブログ本のための祈り