マタイ福音書 7章15~20節 偽預言者を見分ける

2020年2月19日

(内容)

  • 偽預言者を警戒しなさい。偽預言者は羊の皮を身にまとって近づく狼である。偽預言者か否か、見分けることが大切である。

(黙想)

  • イエスは7章に入り、「人を裁くな」と教えられた。人を裁くのではなく、人を愛し、人からしてからして欲しいことを人に対して行う愛を求めるように教えられた。そして狭い門から入るように教え、山上の説教で教えられたことを行うように語られた。21節以下では、天国に入るのは、「主よ」とイエスに向かって叫ぶ者ではなく、父なる神の御心を行う者が入ると教える。24節以下でもイエスから聞いたことを行うことの大切さが語られている。
  • これらを踏まえると、偽預言者とは父なる神のみ心を行うことをきちんと教えない預言者といえる。偽教師は、神の教えを実行することをきちんと教えず、自らも神の教えを実行しない教師といえる。
  • だから実を見分けるとは、預言者を名乗る人が神の教えを行って生きているかどうかを見分けることになる。御言葉を行う人なのか否か。聖書を教えるだけで、その教えに生きているように見えない預言者は、偽預言者かも知れない。パウロは偽教師に言及している。
  • 見分けるには、自分自身が御言葉を行う人になっていることが大切だと思う。自分が行う人であるから、御言葉を行う人とそうでない人を見分けることができる。良い木とは御言葉を行う人。悪い木は御言葉を行わない人。
  • 教会に仕える牧師・教師は、自分が偽教師になりさがっていないか、自己吟味が必要である。羊である教会員は、自分たちを教える教師が、偽教師か否か、見分けることができるよう、御言葉を行う人になることが大切である。

(聖書に聞く)

☆教え
  • (警告)偽預言者に注意する。私たちの時代で言えば、偽教師に注意する。
  • (教え)偽教師かどうかの見分けることが大切である。自分が似せ教師だと名乗る人はいない。みな教師だと名乗る。
  • (警告)教えることに熱心でも、教えたことを自ら実行しない教師は、偽教師になりかねない。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、私たちの時代では、偽預言者は基本的にいないと思います。むしろ偽教師に注意すべきだと思います。わたしは偽教師だと名乗って教会で教える教師はいません。教師となる人は神学校を卒業し、一定の手続きをにより教師の資格を得て教会に遣わされます。教師だからといって自動的に良い実を結ぶ良い木である教師とは限りません。時に群れを散らしてしまう教師もいます。教えるだけでなく、自ら教えることを実践する努力が必要となります。
  • 良い木か悪い木か、それは実を見れば分かると教えられます。この場合の実とは、御言葉に生きていることがわかる実です。ただみ言葉を学ぶだけではなく、み言葉に従っていることが分かる、それが実です。それはその人の言動に自ずと現れてきます。また自分が御言葉に生きてこそ、実を見分けることがよくできると思います。御言葉を行う人、それが良い木ですね。
  • 天の父よ、わたしはこうして自分が行っているデボーションをインターネットのサイトで公開しています。御言葉に生きるための一つの実例を紹介しています。御言葉に生きることを願う人の参考になればと思っています。
  • このサイトが御言葉を行う人となるための助けとなることを願います。私の業を祝福してください。
☆与えられた導き
  • 私のサイトが神さまによって用いられるものとなることを祈る。