第一コリント 9章24~27節
2020年11月10日
(内容)
- パウロはキリスト者の生涯は、競技で賞を目指して走るようなものだと語る。
(黙想)
- パウロはまず「知らないのですか」と語る。これは彼の口癖である。知って欲しいとの気持ちを表している。キリスト者の生涯は、競技で賞を目指して走るようなものであることを知って欲しいというパウロの思いが語られる。
- この段落の位置づけはどうなるのか。9章は8章とつながっていると理解する。するとキリスト者は自由な存在であるが、自由に生きること自体が目標ではないこと、目標のためには自分の自由を制限することもあることを語っているのではないか。キリスト者の目標は、神の国を目指して生きることである。そのことがここでは、賞を目指して走るとされる。神の国が目標であることはパウロはすでに語っている。「正しくない者が神の国を受け継げないことを知らないのですか」(6:9)。
- ここでは神の国という言葉はないが、「朽ちない冠を得る」とある。勝利者に与えられる冠である。テモテの手紙二4章には「義の栄冠」とある。黙示録2章には「死に至るまで忠実であれ。そうすれば、あなたに命の冠を授けよう」との天上にいるイエスの言葉がある。
- 競技をする者は、すべて節制するとある。節制するから、自由の行使さえ節制するということになる。神の国を目指して歩むには節制することが必要であり、自分の体を打ちたたいて服従させますともある。人間には肉の思いがあり、肉の思いは体を通して働くので、体を打ちたたくとパウロは表現する。
- パウロは他の人に宣教しながら、自分が失格者となる可能性を考えている。そしてもちろん失格者とならないように努力する。福音を知っているからといって神の国に迎えられるわけではない。福音を生きることが大切なのだ。賞を目指して走り続けることが必要なのだ。それは神の恵みの下での努力である。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>キリスト者の生涯は、競技を走り、賞を得るように走るようなものである。
- <勧め>賞を得るためには節制をする必要がある。また自分の体を打ちたたいて服従させることも必要となる。肉の思いに打ち勝つのである。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、キリスト者が走る競技、それはマラソンかも知れませんね。マラソンは長距離であり、私たちは長い人生を走ることになります。その競技は時に障害物競走のようです。平坦な道を走り続けるわけではなく、試練という障害があることを思います。それを乗り越えて進むことが大切であり、障害に直面して生じる恐れや不安、思い煩いなどの思いから解放されることが大切と思います。
- 今、私は眼の手術を控えて気持ちの揺れ動きがありました。しかし幸いに今、平安を与えられて感謝です。
- 自分は朽ちない冠を目指す者であるとの自覚をたしかにしたいと思います。そうすればいたずらに思い悩むことはないと知りました。そして平安は神さまから来ることをあらためて知りました。自分で何とかできるものではなく、あなたから平安が来るのですね。感謝します。
- 今日は、讃美歌520番を賛美したいと思いました。そしてこの讃美歌の英語の歌詞を讃美歌ノートに書くことにします。入院中もこの歌詞を読み、心の中で賛美します。
☆与えられた導き
- 讃美歌520番で賛美し、英語の歌詞をノートに書く。