第一テサロニケ 5章12~15節
2020年8月11日
(内容)
- 教会の中で、お互いに対する勧めがなされている。ここに記されている勧めは、教会が愛に生きる教会となるための勧めである。
(黙想)
- このようなう勧めを読むと、現代の教会は愛に生きることを目指しているのか、と思ってしまう。日曜には共に礼拝に集う、しかし礼拝が終わればそれぞれ家に帰る。教会の活動のために集まり話し合いがなされる。教会は何かをする場所になっていて、共に生きる場になっているのか、と疑問に思ってしまう。愛に生きる教会が目指されているのかと考えてしまう。
- お互いのことにはあまり干渉しないで、各自が神を信じ、神との関わりをもって生きているように思える。信仰が個人主義化しているようにも思える。
- 初期の教会には色んな人が教会に集っていた。ユダヤ人もいれば異邦人がおり、奴隷がいれば、そうでない人もいて、多様性に満ちていた。愛が具体的な行動として求められる場が教会であった。
- 今の日本の教会では、誰にも迷惑をかけないことを前提として生きている人が多いのではないか。教会に集う人は何も問題を抱えていないかのように仮面をかぶっているかも知れない。
- 今教会は、新型コロナウィルスの影響で活動が抑制されている。交わりの場が制限されている。他の人たちと関わる機会が少なくなっている。そのような中で、今日の聖書。怠けている人、気落ちしている人、弱い者たちへの関わりが進められている。互いの間で善を行うように勧められる。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- (勧め)導き戒めてくれる人を尊敬すること。
- (勧め)互いに平和に過ごすこと
- (勧め)怠けているものを戒めること
- (勧め)気落ちしている人を励ますこと
- (勧め)弱い人たちを助けること
- (勧め)誰に対しても忍耐強く接すること
- (勧め)悪をもって悪に報いないこと
- (勧め)誰に対しても善を行うように努めること
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、聖書から色々な勧めを受けました。今、新型コロナウィルスの感染拡大の中、人と接することを少なくし感染を予防をする自粛生活を行っています。今日の聖書から与えられた勧めは縁遠く感じられるこの頃です。
- しかし「弱い者たちを助けなさい」との勧めは、思い当たる節があります。ある人が私のブログを読んでおられることを知りました。私はその人のために執り成しの祈りをしていますが、ブログを通して間接的に励まし・助けを与えることができるのではないかと考えます。具体的に相手を覚えながらブログを書きたいと思いました。今日書くブログのテーマは決まっていますが、その人のことを覚えながら書いてみたいと思います。
☆与えられた導き
- ある人を覚えながらブログを書く