マタイ福音書 5章33~37節
2020年8月7日
(内容)
- イエスは一切誓ってはならないと教える。
(黙想)
- 誓いについて旧約に書いてあることを列挙してみると
レビ記 19:12
わたしの名を用いて偽り誓ってはならない。それによってあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である。
- 「偽り誓う」。どういう意味か。実行する気もないのに実行する姿勢を装うために誓うのか。それとも本気で誓ったとしても誓った通りに実行できなかったので、偽り誓うというのか。どちらも好ましくない。誓いを自分のために利用している。好ましくない態度である。
民数記 30:3
人が主に誓願を立てるか、物断ちの誓いをするならば、その言葉を破ってはならない。すべて、口にしたとおり、実行しなければならない。
- 誓願を立てたなら果たしなさいとの命令。現実に、人々は誓いを立て、実行しているのかどうか。もし実行していないとしたら、この命令は役に立っていないことになる。
申命記23:22
あなたの神、主に誓願を立てる場合は、遅らせることなく、それを果たしなさい。あなたの神、主は必ずそれをあなたに求め、あなたの罪とされるからである。
- ここでは誓いを果たさなければ罪になると警告されている。
- イエスは、旧約聖書に書いてある誓いについての命令に対して、「一切誓いを立てるな」と命じる。誠実な誓いがなされていない状況があったと思われる。そこでイエスは誓いを禁じた。
- 誓う相手は神であり、誓いを守らないことは神を利用することになり、神を侮辱することになる。神の権威を借りて語ることは神を利用すること。思い上がった行為である。
マタイ23:16
ものの見えない案内人、あなたたちは不幸だ。あなたたちは、『神殿にかけて誓えば、その誓いは無効である。だが、神殿の黄金にかけて誓えば、それは果たさねばならない』と言う。
- これは律法学者やファリサイ派の人たちの誓いについての教えに対してイエスが批判している。彼らは自分に都合のいいように神の教えを曲げている。
- 結局、誓う行為は、神を利用することになる。それは神を軽んじることになる。イエスは誓いを一切禁じる。そして「然り、然り」「否、否」と言いなさいと命じる。
- 人は「します」「しません」と自分の言葉について責任を持てばよい。「します」といったら行う。「しない」と言ったら行わない。
- 人が語る時、それは神の御前で語るのである。誓わずとも、人は自分の言葉に責任を持ち言葉の通りに行動するべきである。神を畏れることのない社会では、口先だけの人が少なからず存在することになる。
- 「それ以上のことは、悪いものから出るのである」とある。誓うということは神を利用することであり、そのような考えは、悪魔からのものであるとイエスは言う。神に向かって誓い、自分の語ることが本当であると相手を説得する。神の権威を利用する、悪魔からくる誘惑である。無意識のうちに私たちはそのようなことをしているかも知れない。
- キリスト者は自分の語る言葉に責任を持ち、言行一致する者をでありたい。デボーションをしていると、適用が与えられる。これは神の前で実行しますと約束することになる。忘れずに実行することが大切である。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- (御子)誓うことを禁じる方である。神の名を利用することを禁じておられる。
☆神が私たちに求める生き方
- (命令)言行一致するようにする。いつも自分が神の前にいることを覚え、語ることに対して誠実で責任を持つべきことを教えられる。
(与えられた導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も大切なことを教えられ感謝します。こうして聖書を思いめぐらし、あなたから導きをいただけることを感謝します。信仰のあり方は人それぞれです。私はこのようにあなたの導きを得て歩みます。
- 今日の聖書から、「します」と言ったことは誠実に行わなければならないことを教えられました。デボーションをして適用を与えられるとは、あなたの前に「これをします」と言うことでもあり、それは実行しなければなりません。
- 一つだけ、実行を遅らせていることがあります。そのことは自覚しています。今日はそれを遅らせるな、とあなたから言われたと受けとめます。ディボーションを通して、クリスチャンは聖なるものを目指して生きるべきであり、そのことを伝えることを自分の使命としたいと導かれました。その準備として3つのことを掲げましたが、一つしかできていません。明日の土曜に時間を取ります。時間は足りないと思いますが着手します。
☆与えられた導き
- 以前のディボーションで与えられたことを明日行う。