コロサイ書 1章21~23節
2020年5月13日
(内容)
- 異邦人であったコロサイの人たちは以前は神から離れ、神に敵対していたが、今や御子の死により神と和解したこと、そして揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、福音の希望から離れないようにとのパウロから命令されている。
(黙想)
- コロサイの人たちが神と和解し、聖なるもの、きずのない者、とがめるところのない者とされた。聖なるものとは、クリスチャンのアイデンティティーで、世の人々とは区別された人を意味する。クリスチャンは信仰に生き、神との交わりに生きる者とされたことを意味している。
- きずのない者とされた。あるいは、とがめられるところのない者とされた。これらが何を意味しているのか、はっきりしないが、要するに罪が赦された者と考えてよいだろう。罪が赦されるとは、罪を咎められることがなくなるということであり、きずのない者とは、罪を犯したという事実がなかったことにされること、神による罪の赦しを指している。
- コロサイ教会の人たちは、イエス・キリストを信じ、聖なる者とされ、過去に犯した罪については、神から咎められることなく、神が思い出すことはしない。そのような者とされた。クリスチャンのアイデンティティーとして、聖なるもの、罪に定められることのない者にされたことが書かれている。
- そして揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、福音の希望から離れないようにと勧められる。コロサイ教会の人たちが直面している状況は良く分からないが、揺るぐことなく信仰に踏みとどまることは、どの時代、どの場所にいるクリスチャンに対しても有効な勧めである。福音の希望から離れないことも。
- 1章5節にもあったが、コロサイ教会の人たちは福音から希望を聞いた。13節では、闇の力から救い出され、御子の支配下に移されたとある。信仰者になったということは、闇の力がなくなったということではなく、闇の力がクリスチャンを絶対的に支配することがなくなったことを意味する。クリスチャンは闇の力に勝つことができることを意味する。それはクリスチャンが御子の支配下に置かれているからである。
- このことを信じ、闇の力に抵抗して戦い、勝利する、それが信仰に踏みとどまることである。そして御子の支配下に自分がおかれた信じ、御子の力により闇の力に勝利できるとの希望から離れてはいけない。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方
- <御父>神に敵対する者と御子によって和解される方。
☆神が求める私たちの生き方
- <勧め>信仰に踏みとどまり、福音の希望から離れないこと。
- <教え>クリスチャンは、聖なる者であり、罪のとがめをもはや受けない者である。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日はあらためて揺らぐことなく信仰に踏みとどまるようにとのあなたの呼びかけを聞きました。私たちには福音の希望があり、この希望から離れてはいけないとの勧めもいただきました。
- 私は今、死を越える希望を心から信じることができるようにとあなたに祈っています。私の理性が、邪魔をしています。信仰とは望んでいる事柄を確信することと聖書にあり、その通りだと考えていますし、そのようにしてこれまで歩んできました。地上での信仰生活に関しては、御言葉に信頼し、御言葉の約束を受け入れ、信じ歩んできました。
- 死後のことは私たちは知ることはできません。神の国という希望が福音として与えられています。でも信じて本当に大丈夫なのかという確かさを私の理性は欲しています。あなたを心から信頼し、あなたに委ねて歩みたいと願っています。今日の聖書は、福音の希望から離れるな、揺るぎなく信仰に踏みとどまりなさいとあなたのみ声を聞く思いがしました。
- 心からあなたにゆだねる信仰を与えてください。この件についてはなお祈り続けます。信仰のない私を助けてください。
☆与えられた導き
- なお祈り続ける。