ヨハネ福音書 18章28~38節
2020年3月27日
(内容)
- 人々はイエスをローマ総督ピラトのもとへ連れて行った。おそらくイエスを、王と名乗りローマ帝国に対して謀反を企てたという罪状でピラトに引き渡した。イエスは、「私は真理について証しをするために生まれ、そのためにこの世に来た」と語られた。
(黙想)
- イエスは「私は道であり、真理であり、命である」(14:8)と語られた。今日の箇所では、真理について証しをするためにこの世に来たと語られる。ピラトではないが、「真理とは何か」との問いを私たちも持つ。
- しかし答えを私たちはもっている。真理とは何か。神の言葉が真理なのである。「真理に属する人は皆、私の声を聞く」(37節)。8章に次のような言葉がある。
8:46~47
わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。
- この箇所では、イエスを信じる者は「神に属する」と言われ、18章のこの箇所では「真理に属する」と言われる。信仰者とは何かが示される。信仰者は神に属し、真理に属する。「しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない」(8:45)。イエスは真理を語り、真理について証しをし、イエスご自身が真理である。
- イエスを信じる者は、神に属し真理に属するというアイデンティティーをもつ。つまり神の言葉によって生きるという特徴を持つ。神の言葉を拠り所にして生きる。神の言葉に立って考え行動し、生きる。だから僕は死ぬまで、聖書に聞き続ける。神さまは、聖書を通して僕に語りかけ、僕を導かれると信じる。
- 神の言葉を聞くために必要なことは、自分を知ることである。自分は今どんな状況にあるのか、何を悩み、何を考えているのか。何を感じているのか。何をしようとしているのか。誰との関わりの中に生きているのか。神さまが語りかける自分をどのように認識するのか。自分を弁えずして神の語りかけ、導きを得ることはできない。
- 「真理に属する者は皆、わたしの声を聞く」。イエスに聞いて生きるのである。あらためて、自分は真理に属する者であり、イエスに聞いて生きる者であることを確認する。私は羊であり、羊飼いなるイエスについて行く者である。イエスの声を聞き分け、イエスについて行く者である。そしてひとりの老人として生きている。現役の働きから退いて生きている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>イエスは、真理について証しをするために世に来られた方。イエスは、真理そのものであり、真理を語る方でもある。
☆神が私たちに求める生き方
- <教え>イエスを信じる者は、神に属し真理に属するというアイデンティティーをもつ。「あなたは何者か」と聞かれたら、真理に属し神に属する者であると答える。クリスチャンとはキリストに属する者であるとの意味である。
- <教え>私たちはイエスの声を聞いて生きる者である。聖書を読むとはイエスの声を聞くことである。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を読むことができ感謝します。今日は自分が何者であるのかをあらためて確認することができ感謝します。聖書が福音として告げ知らせていることが真理であると信じます。信仰者は真理を知り真理によって生きるわけですが、一人ひとりが自分の到達したところにもとづいて進むことが必要ですね(ピリピ3:16)。
- 真理を深く知りたいとの願いがあり、福音を学びたいとの思いがあります。そして福音を証ししたいとの思いがあります。そして聖書を読みながら自分で福音が何かを確かめたいと願っています。今私の心にあると問いは、キリストを信じて生きるとはどういうことなのか、聖書の世界観とは何か、そもそも世界を創造された神の意図、計画は何かということです。これらを知ってこそ、死を越える希望が確かになることを思います。
- 今は、真理追究の私の歩みを導いてくださいと祈ることしかできません。今読んでいる神学書の学びを導いてくださいとして祈ることができません。だから、導いてくださいと祈ります。今日も学びの時を持ちますので、導いてください。
☆与えられた導き
- 学びの導きを祈る。
- 学びの時を持つ。