ヨハネ福音書14章25~31節
2020年2月18日
(内容)
- イエスが自分はいなくなると話され、弟子たちは不安の中にある。そして聖霊がすべてのことを教え、イエスの言葉を思い起こさせると励ましを与えている。
(黙想)
- ヨハネ福音書は、迫害の中にある信仰者に語られた福音書であると言われている。この箇所にはそのことがよく現れている。
- 25節の「わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した」。この「あなたがたといたときに」と語るイエスは、迫害の中にある信徒たちに語る復活のイエスである。
- 28節の「『わたしは去って行くが、また、あなた方のところへ戻ってくる』と言ったのをあなたがたは聞いた」。「あなたがたは聞いた」も復活のイエスの言葉であることを示唆する。
- 地上のイエスと共にいる弟子たちと迫害の中にある信仰者たちは、共にイエスがいないとの不安の中に置かれている。迫害の中にある信徒たちは、復活のイエスは共におられ導いてくださるのかとの不安の中に置かれている。
- 地上のイエスは弟子たちにまた戻ってくると言って励まし、復活したイエスは迫害の中にある信徒たちに、かつて語った言葉を思い出させ、励ましを与えている。
- 地上のイエスの言葉、そして迫害の中にある信徒たちを励ます復活のイエスの言葉、そして私たちを励ます言葉、それは「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな」。
- イエスを愛する者に「ご自身を現す」と語ったイエス。イエスを愛する者に「わたしと父はその人のところへ行って一緒に住む」と語ったイエス。イエスはその語る言葉をもって、ご自身を現すと語り、一緒に住むと語っているように思える。イエスの言葉を聞く、それは目の前にいるイエスからその言葉を聞くということ、さらにそれを目の前にいる神からその言葉として聞くということになる。
- 「わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ」。イエスは弟子たちのもとを去ると語られた。それは父のもとへ行くことである。そしてまた戻ってこられる。だから、イエスの言葉を喜べるのである。イエスを愛するとは、イエスの言葉を信頼することであると教えられる。「愛する」とは、相手の心を大切にすることであるが、さらにそれは、相手の言葉を信頼することでもある。
- 30節の「世の支配者がくる」は、イエスを捕らえようとする者たちを指し、また信徒たちを迫害する者たちを指している。「だが、彼はわたしをどうすることもできない」とイエスは語り、迫害の中にある信徒たちを励まそうとしている。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- <御子>御子イエスは、「わたしの平和」と与える方。イエスは世が与えるのとは別の仕方で、私たちに平和を与える方。
☆神が私たちに求める生き方
- <約束>イエスは私たちに平和を約束して下さっている。世が与えるのとは違う仕方で与えられる平和。
- <命令>いかなるときも心を騒がせず、おびえないこと。
- <教え>イエスを愛するとは、イエスの言葉に信頼すること。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今朝も聖書に親しむことができ感謝です。今日の聖書で「心を騒がせず、おびえるな」とイエス様の言葉を聞きました。私が「おびえる」とすれば、重い病気になったり、死が近づいたときです。おびえないという自信はありません。だから聖書を読み、希望の言葉を聞く努力をしています。今日の聖書は、この世が与えるのとは違う「イエスの平和」があることを教えられました。イエス様を愛するとは、イエス様の言葉に信頼することであるとも知りました。
- 信頼することは、あなたの賜物であることを思います。天の父よ、どうぞさらにイエス様を愛し、イエス様に信頼し、イエス様の言葉を信じ、イエス様の平和を受け取ることができるように導いてください。イエス様を深く愛することができるように、イエス様の言葉を心から信じることができるように祈り続けます。イエス様の平和が私の心に宿るように導いてください。
☆与えられた導き
- イエス様の平和が与えられるように祈り続けること。