ヨハネ福音書14章1~6節

2020年1月29日

(内容)

  • イエスは、「わたしの父の家には住む所がたくさんある」と言われ、「行ってあなたがたのために場所を用意しに行く」と言われた。そして戻ってこられると、弟子たちはイエスのいるところにいることになると云われた。

(黙想)

  • イエスは、「私の行く所にあなた方は来ることができない」(13:36)と言われた。それは父なる神のもとに行くということであった。イエスはここで、「父の家には住む所がたくさんある」と語られる。これは新しい話題である。イエスは間もなく亡くなり、それは父のもとに帰ることである。そしてそれは「住む場所を用意しに行く」こと。誰が住むのかと言えば、弟子たち、そして私たちが住むことを意味している。
  • イエスを信じる者は永遠の命が与えられるとヨハネ福音書は書く。この命は信じる者にはすでに与えられているとも書く。言い換えるとイエスを信じることによって、信じる者と神との関係が築かれ、それは信仰者の死を越えるつながりがあることを意味する。信仰者は死んでも無になるのではなく、神と結ばれた関係の中に置かれる。そのことが今日の箇所では「父の家に住む」と言われているのだろうか。それにしてもイエスは、なぜこのようなことを言われたのか。唐突な気がする。
  • 3節の「戻ってきて」は解釈が二つあるように思う。一つは再臨。つまり終末。もう一つはイエスの復活。「あなたがたをわたしのもとに迎える」も、再臨したイエスが私たちをイエスのもとに、つまり神の国に迎えるとの意味と、復活したイエスが弟子たちのもとに、そして信仰者である私たちと共にいてくださるという意味。
  • ここでは、イエスが復活して弟子たちの前に現れることを指していると考える方がよいと思われる。3節で大切と思うことは、「イエスのいるところに弟子たちがいる」のであり、「弟子たちのいるところにイエスがいるのではない」こと。私たちが「イエスが私たちと共にいてくださる」と考えるとき、それは「イエスのいるところに私たちが行く」のであって、「私たちのいるところにイエスが来て下さるのではない」と考える。
  • 6節の「父のもとへ行く」も二通りの解釈できる。一つはイエスへの信仰により、イエスの再臨の後、天の父のもとに迎えられること。今ひとつは、イエスを通して父なる神を信じ、神への信仰に生きること。この場合も、大事なことはメシアであるイエスを信じることであるから、イエスを通して父なる神を信じることが語られているのではないか。
  • ファリサイ派の人々は、神を信じていると主張するがイエスを信じることはしない。ファリサイ派の人々の信じる神は、イエスの父なる神ではない。そして旧約聖書が伝える神は、イエスの父なる神である、これがクリスチャンの立場。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方か

<御子>イエスは父なる神のもとへ行き、信じる者のために住む場所を用意される。

<御子>用意を終えたらまた戻ってこられる。そして弟子たち(信仰者)をご自身のいるところに共におらせてくださる。

☆神が私たちに求める生き方

<約束>イエスは、イエスのおられるところに私たちをおらせてくださる。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエス様が「父の家には住む所がたくさんある。・・・場所を用意したなら、戻ってくる」と話されましたが、唐突な気がしました。父の家での住む所、についてこれまで話題にもなっていませんでした。ヨハネ福音書のこれまでの話しの流れから考えて唐突な感じがして戸惑いを覚えました。注解書を調べてみたいと思いました。
  • またこの箇所は大切なことを教えています。イエス様のもとに私たちがいる(行く)のであって、イエス様が私たちのもとにいる(来る)のではないということです。この違いは非常に大きいと思います。そして多くのクリスチャンは、イエス様が自分たちのもとに来てくれると考えているような気がします。その場合、イエス様のもとに行くことがなされないし、自分のもとにイエス様がおられるわけでなく、イエス様と共にいるつもりになるのはいいですが、それは空想でしかないということです。羊飼いと羊のたとえでも、羊は羊飼いについて行きます。
  • 私自身は、イエス様のおられるところに自分が行くことを考え、イエス様のもとに行く努力をしています。それは結局、聖書を読み、聖書に聞いて生きることに他ならないと考えています。イエス様は言が人となられた方だからです。そしてこのようにデボーションを行うことができ、イエス様のおられるところに私は伴わせていただいていると信じています。
  • 天の父なる神さま、私にはイエス様と共なる深い喜びを与えられたいとの願いがあります。パウロは、この世を去ってイエス様と共にいることを熱望すると語っています。パウロは熱望しています!そんな信仰に私は憧れています。み言葉を通してイエス様と共に歩んでいる幸い、喜びを与えられていますが、イエス様とのもっと深い交わりがあるのではないかと考えています。神さま、導いてください。この事については祈っていますが、なおあなたの導きをさらに祈ります。
☆与えられた導き
  • 注解書を調べる。
  • イエス様との深い交わりを求めて祈る。