ヨハネ福音書13章36~38節

2020年1月23日

(内容)

  • 「私の行く所に、あなた方は今ついてくることはできない」とイエスが言われた。するとペトロは、「あなたのためなら命を捨てます」と語る。これに対してイエスはペトロに、ペトロの裏切りを予告する。

(黙想)

  • これまで弟子たちはイエスと寝食を共にしてきた。そのイエスが、弟子たちがついて行くところのできないところへ行くという。そのことは以前にもイエスは語ったことがあり、弟子たちも聞いたはずだが、何のことか分からずに聞き流していたと思われる。この場面ではそれが問題となった。イエスはいなくなる。しかも、弟子たちはついて行くことができないという。
  • 弟子たちはどんな思いを抱いたのだろうか。急に突き放されたような気持ちになったのだろうか。それはやはりさびしい。否、さびしい以上のものである。敢えて言えば死別の悲しみに似ているかも知れない。
  • ペトロはなぜついていくことができないのですか、とイエスに問う。そのまま答えを待ったらイエスは何と答えるのか。「父のもとへ行く」とおっしゃるのか。そう言われても弟子たちは何のことかわからないだろう。
  • イエスがいなくなる、大きな喪失感だ。それだけではない。これまでイエスと一緒に寝食を共にしてきた。イエスはご自分がメシアであることを伝えてきた。その業はどうなるのか。中断してしまうのか。そしてこれから自分たちはどうしたらいいのか。一挙に不安に陥ったのではないか。
  • 「あなたのためなら命を捨てます」。ペトロはどんな気持ちで言ったのか。イエスのためなら命を捨てる覚悟のある自分を連れて行ってくださいとの思いなのか。思わず口に出た言葉なのだろう。ペトロの心理は推測できてもそれは推測に過ぎない。
  • 我々はイエスが共にいてくださると信仰の歩みをしている。この「共にいてくださる」ことの重み、ありがたさをもっと信じてよいのではないか。
  • イエス様はペトロが三度イエスのことを知らないと言うことをご存じである。でもイエスはペトロを責めていないし見捨てるつもりもない。神による罪の赦しというのは、人を甘えさせるものではない。罪と闘い、罪に打ち勝つことを期待する赦しである。

(聖書に聞く)

☆神はいかなる方
  • (御子)イエスは弟子たちがついて行くことができないところ、天の父のもとに行かれる。
  • (御子)ペトロがイエスのことを三度知らないと語ることをご存じの方。

(神の導き)

☆祈り
  • 天の父なる神さま、イエスの言葉を聞いてペトロは戸惑ったに違いありません。イエス様が自分たちのもとからいなくなるし、ついて行けないところに行くというのです。見捨てられたような、突き放されたような思いを感じたに違いありません。ペトロの言葉は自分の命を捨ててでもあなたについて行きたい、そんな思いになったのかもしれません。
  • イエス様はペトロが三度イエスのことを知らないと言うことを予告されました。ペトロは冷や水を浴びせられたような気持ちになったかもしれません。
  • 天の父なる神さま、私たちは自分の口から思いがけず、言葉を出してしまうことがあります。昔のことですが、自分を守るために、思いがけずに嘘をついたことがあります。嘘をつこうと思ったわけではなく、反射的に言葉が出てしまったのです。このようにして罪を犯す私たちでもあるのですね。ペトロもまた三度イエスのことを知らないと言ってしまいました。
  • 自分の口からどんな言葉が出てくるのか、それは分かりません。舌は罪を犯すことを思います。舌を制御できる人は一人もいないとヤコブ書にあります。舌で罪を犯したときは潔く、悔い改めることができるように導いてください。
  • イエス様が弟子たちのついて行くことのできないところに行くと語られたときの弟子たちの思いを想像します。イエス様に突き放されたような、見放されたような思いになったのかもしれません。しかし数日後には復活されたイエスは弟子たちに現れました。その後天に昇られましたが、弟子たちに聖霊を送り、世の終わりまでいつも共にいてくださると約束し、弟子たちはイエスと共に歩んだことを思います。そしてイエス様は私たちと共にいてくださると信じます。
  • 弟子たちの思いを思うとき、自分の死の時を思います。死ぬとは、この世からいなくなることであり、大切な人たちとも引き離されることです。今日の聖書でイエス様は、「後でついて来ることになる」と言われました。私たちは死んだら、イエス様の行かれたところについて行くこと、そして父なる神さまのもとへ行くことを教えられます。これはうれしいことですね。自分の死を受け入れる聖句に出会った思いがいたします。このうれしさをブログに書いて記憶にとどめたいと思います。
☆与えられた導き
  • イエス様について行くうれしさを記憶にとどめる。