ヨハネ福音書11章45~57節
2019年12月7日
(内容)
- ラザロを生き返らせた出来事は大きな影響を与えた。多くのユダヤ人がイエスを信じた。しかしファリサイ派の人々は信じることなく、最高法院を招集してイエスをどうするか協議し、イエスを殺すこととした。
(黙想)
- ファリサイ派の人たちの頑なさが極まったように思われる。死人を生き返らせるという奇跡をイエスは行った。なぜこのようなことができたのか、それは何を意味しているのか、イエスが神から遣わされたことを認めてもよいのではないかと思う。しかし祭司長たちとファリサイ派の人たちは最高法院を招集し、イエスをどうしたらいいか対策を考える。
- これまでイエスに反対する理由として、安息日に癒やしの業を行い律法を破っている、自分を神のごとく考え、神を冒とくしているというものであった。ここでは、イエスを信じる者が多くなり、ローマ帝国に対する反逆が起きて、ローマ帝国の抑圧を心配している。
- それでイエスを殺せば、自分たちは安全だという理由でイエスを殺そうとの結論になった。人は自分の立場を正当化しようとする時、色々な理由を考えることが分かる。それは頑なな態度である。
- 何よりも、神さまに対して心を開くことの大切さを知る。
(聖書に聞く)
☆神が私たちに求める生き方
- (警告)自分を絶対化することなく、謙遜に神さまに対して心を開くことが大切である。
<神の導き>
☆祈り
- 天の父なる神さま、私たちは自分の立場というものをしっかり持つべきと考えます。聖書に根ざして信仰者としての確かな考えを持ち、揺れない信仰的な立場を持つべきだと思います。しかし同時に謙遜に自分を変える用意のあることも大切だと思います。
- 外から来る色々な意見や出来事に振り回されないしっかりした立場と、本当に耳を傾けることに直面した時には、変えることも大切ですね。神さま、今、ニーバーの祈りを思い出しました。
変えることのできないものは、それを受け入れる平穏な心を
変えなければならないことは、それを変える勇気を
それらを区別できる知恵を
与えてください。 - 自分自身の考えについて、この祈りを当てはめることができたらと思います。世の中に起きる出来事をキリスト者としてどう受けとめるのか、どう考えるのか、そのことは信仰者としての私の生き方にどう影響するのか、真摯に向き合っていくことが大切ですね。
- 今の日本の政治指導者について、あるいは政権与党について、これが誠実は指導者、政党なのかとのうんざりするような思いがあります。そしてあなたに祈ってきましたが、祈りが聞かれているようには思えません。自分の考えと祈りの内容をあらためてはどうかとの思いを持ちました。導いてください。
☆与えられた導き
- 日本の国の政治のための祈りの検討