フィリピの信徒への手紙 3章17~4章1節(2)
2019年3月7日
(内容)
- パウロは涙しながら、自分の腹を神とし、この世のことしか考えない人たちの滅びを語っている。人々の滅びを悲しく思っています。そこには宣教しても信じてもらえない悲しみがあります。そして対比して私たちの本国は天にあり、キリストの再臨を待望していると語る。その時、私たちは主の栄光あるからだと同じ形に変えられると語る。
(黙想)
- 「この世のことしか考えない」習慣、癖は自分の中にも強くあることを思う。先日ブログに「人生を導かれる神」と題して文章を書いた。その時、神さまが私たちを天に導かれることは書かなかった。そのことは僕の意識になかった。つまり僕は「この世のこと」しか考えていなかったのであり、この世における私たちの歩みを神さまは導いてくださる、としか書かなかった。一番大切な、本国である天に導いてくださることは書き損ねた。しかも自分は年老いて天に召される日が近づいているというのに。
- しかも、信仰者の歩みはキリストに似た者となる歩みであることを知り、語り、また努めているのに、キリスト者の歩みの最終目標がキリストの栄光あるからだと同じ形に変えていただけることを本気では考えていなかったことを思わされる。キリストは万物を支配下に置くことのできる力によって、私たちを変えてくださるというのに、最終目標を忘れていたのは、この世のことしか考えていたなかったことを思う。悔い改めなければならない由々しき事態であると思う。
(聖書に聞く)
☆神はいかなる方か
- (御子)19節。イエス・キリストは今一度この世においでになる。再臨される方である。
- (御子)20節。万物を支配下に置くことのできる力によって、私たちの卑しい体を栄光あるからだと同じ形に変えることのできるお方。
☆神が私たちに求める生き方
- (約束)20節。私たちの本国は天にある。私たちは本国である天に迎えられる。これは神の約束。
- (警告)19節。この世のことしか考えない、人間のあり様は滅びにつながる。
(神の導き)
☆祈り
- 天の父なる神さま、今日も聖書を味わうことができ感謝します。今日は、「この世のことしか考えない」との言葉が心に突き刺さりました。「人生を導かれる神」と題してブログに文章を書きました。そして昨日、大事なことを忘れていることに気がつきました。つまり、あなたは本国である天へと私たちの人生を導かれる方であることを書き損ねていたのです。それは私がこの世のことしか考えていなかったことを意味しています。頭では考えていても、心の部分では考えていなかったということです。神の国を目指して自分は歩むべきだと考えてはいましたが、心は違っていたのです。どうして心がおいてきぼりにされていたのか、それはわかりません。
- でもそれが信仰者の歩みなのかもしれません。まず、頭で知識して知り、それを腑に落ちるようにし、心から信じる、そのことの繰り返しが信仰の成長なのかもしれませんね。
- 自分は「天」のことを考えているつもりでしたが、心はこの世にありました。思い上がりがあったのだと思います。この事実を受け入れ、悔い改めます。そして万物を支配下に置くことのできるイエス・キリストの力によって、私の心を変えていただくように願います。私の人生のゴールは天にあること、天に向かって神さまは私を導いてくださっていることを心から信じることができるように祈り願います。
☆与えられた導き
- 悔い改めを祈る。